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揖保川のほとりに鎮座しています。
すぐ近くには丸亀藩網干陣屋跡があります。
丸亀藩は讃岐国の藩ですが、なぜここ網干に陣屋があるのかな?と思って調べてみました。
当初このあたりは姫路藩が領有していましたが、寛永14年(1637年)に龍野藩領となります。
その後藩主であった京極高和が丸亀藩へ移封となりますが、網干のこの地域は京極家領として、明治まで丸亀藩の飛地となっていたそうです。
境内は比較的新しい感じで、社殿もとてもきれいでした。
<御由緒>~兵庫県神社庁HPより~
当社は安政7年(1860)4月8日に勧請された。明治41年(1908)に湾洞神社(元福寿院庚申堂)を合祀し、同境内社稲荷神社を移す。大正7年(1918)、境内恵美酒神社(部落南方から移した)を合祀する。
寛永時代、興浜は龍野藩京極家の領有であった。万治元年(1658)に丸亀に移封されたが、二十八ケ村は一万石の領地として陣屋を置き、明治の初めまで統括した。
年代は不祥だが、陣屋内の御社地に讃岐金刀比羅宮を祀っていた。安政6年(1859)に現地に移され、神社が建立された。大正3年(1914)より同6年(1917)までに現在の様相(盛り砂をして本殿を高くした)に再建された。神社の北、対岸の砂山まで丸太で桟橋を組み立て、村中総出で砂持ちや掛け声を合わせ、大変賑やかだったようである。
境内には恵美酒神社、金刀比羅神社、湾洞神社の合祀記念碑(大正5年丙辰6月)(1916)と改築記念碑(大正6年10月)(1917)がある。
鳥居
拝殿
本殿
金剛稲荷大明神
本殿後方にある恵美酒神社、金刀比羅神社、湾洞神社の合祀記念碑と改築記念碑
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