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はりまこくぶんじ|高野山真言宗

播磨国分寺のお参りの記録一覧
兵庫県 御着駅

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四季
四季
2022年06月20日(月)557投稿

牛堂山国分寺(うしどうさんこくぶんじ)

~黒田官兵衛に守られた地✴播磨国分寺跡~

山号  牛堂山
宗旨  古義真言宗
創建年 天平13年(741年)頃
開基  聖武天皇
中興年 近世頃
御本尊 薬師如来像(秘仏)

文化財 石造宝篋印塔
   (兵庫県指定文化財)

御詠歌
 ひろきのの はなのくるまを ひきつれて
 うしどうさんに まいりこそすれ

兵庫県姫路市御国野町、播磨国分寺跡(はりまこくぶんじあと)の寺域の北側に建つのが牛堂山国分寺。

播磨国分寺跡
古代天平13年(741年)の国分寺建立の詔の頃に創建されたと考えられるそうです。
延長5年(927年)成立の『延喜式』主税上では、国分寺料として稲4万束が規定されています。 (礎石焼痕によれば焼失)。
牛堂山国分寺の縁起によれば、播磨国分寺は戦国時代には荒廃していましたが、天正15年(1587年)に豊臣秀吉から国分寺村337石の寄進を受けます。また慶長6年(1601年)には姫路藩から30石の寄進を受け、堂宇が再興されたとあります。さらに寛永年間(1624-1644年)には、姫路城下の池田・本多両家の菩提寺の大堂が移されたといい、現在に見る本堂がこれになると伝えます。
慶安元年(1648年)には、3代将軍徳川家光から朱印地として30石の寄進をうけました。

主要伽藍は、南大門・中門・金堂・講堂・僧坊が南から一直線(主軸は約4度西に傾く)に配されるとともに、寺域南東隅には塔が配される東大寺式伽藍配置です。
主な伽藍の基壇は現在までに整備されています。
寺域からは、瓦・土師器・須恵器が大量に出土したほか、国産施釉陶器、貿易陶磁器、黒色土器、瓦器、風字硯、土錘、塼、金銅製水煙、勾玉、吸子羽口、鉄・銅製品、鉄滓、砥石、骨なども出土しています。以上の出土遺物などにより、平安時代末頃までの存続が推測されるそうです。

牛堂山国分寺は播磨国分寺の後継寺院で、山門は奈良時代に聖武天皇の詔で建立された播磨国分寺の金堂のあった場所で、山門横には金堂の巨大な礎石が現存し、本堂はかつての講堂跡に建ちます。
また、黒田官兵衛が別所勢を撃退した地でもあります。
天正6年(1578年)、三木城の別所長治(べっしょながはる)が織田信長に反旗を翻し、毛利軍の大軍が尼子氏や山中幸盛らが守る上月城を取り囲んだ際、羽柴秀吉は三木城の兵糧攻めを維持しながら、自らの手勢を率いて出陣。
その間隙(かんげき)をぬって別所勢が姫路城を陥れようとしたため、黒田官兵衛は姫路に戻ってこの牛堂山国分寺に陣を構えていたそうです。
現在の本堂などは寛永16年(1639年)、姫路城主・松平忠明(まつだいらただあきら=三河譜代の徳川家の重臣・奥平信昌の四男で、家康の養子となり、松平姓を名乗る)の再建。

松平忠明の忠は、徳川秀忠(徳川2代将軍)から賜ったもので、母は家康の娘・亀姫(盛徳院)。

「霊牛」
神功皇后の夢に現れた吉兆を告げる霊牛が山号の縁起なりました。

「五智如来」
密教の五つの智恵を如来さまで表したもの。

~・~・~・~

国分寺跡』だけの認識で、
30分ほど時間ができて お参り、、、

御住職がお留守でご子息(学生さん?)にご対応頂き、御朱印をお願いして参りました。
後日戴きに上がる際にもう一度じっくりお参りさせていただきます。築地塀もどこにあるか分からず。播州恐るべし🍀古代を感じることができて、とても幸せです。

四国八十八箇所霊場写
阿刕 阿州・阿波国
讃刕 讃岐
刕=州

燈籠(復元)

駅名 御着(ごちゃく)

兵庫県姫路市御国野町国分寺121
079-253-0669

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