えんぎょうじ
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圓教寺ではいただけません
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圓教寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年06月10日(金)
参拝:2022年4月吉日
【西国三十三所巡り(16/33)】
圓教寺(円教寺:えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市書写にある天台宗の別格本山の寺院。山号は書寫山(書写山)。本尊は如意輪観世音菩薩(摩尼殿(本堂)安置)。西国三十三所27番札所。西国三十三所のうち最大規模の寺院で、その寺格の高さから「西の比叡山」とも呼ばれ、中世には比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹。大講堂、鐘楼、金剛堂、食堂、常行堂、奥之院(開山堂、護法堂2棟、護法堂拝殿)、十妙院(客殿及び庫裏、唐門)、寿量院、木造釈迦如来及び両脇侍像(大講堂安置)、木造四天王立像(摩尼殿安置)、木造阿弥陀如来坐像(常行堂本尊)、木造性空坐像(開山堂安置)が国指定の重要文化財。境内は国の史跡。
寺伝によると、平安時代中期966年に、性空が書写山に庵を結んだのが始まり。庵の近くの桜の老木に、生木のままで如意輪観音像を彫り本尊としたという。986年に性空を尊崇していた花山法皇が来山し、圓教寺の勅号を与え、米100石を寄進、性空はこの寄進をもとに講堂を建立したとされる。この後、後白河法皇や後醍醐天皇など多くの皇族が行幸し、勅願により建物の改築、建立を行っている。皇族以外でも、中宮従者であった和泉式部が帰依して歌を残したり、武蔵坊弁慶が一時期書写山で修行をしたり(史実の確証なし)、一遍、一向俊聖、国阿らの時宗聖が参詣したことでも知られる。戦国時代の1578年、織田信長に中国地方征伐を命じられた羽柴秀吉が、播磨制圧のために当寺に乱入し、摩尼殿の本尊である如意輪観音像などを近江・長浜に持ち帰ったが、1580年に如意輪観音像だけが戻された。
当寺は、JR山陽本線・山陽新幹線・姫路駅の北北東7kmの書写山(標高371m)にあり、境内の広さは36万㎡(東京ドーム8個分)に及ぶ。書写山南麓からケーブルカーに乗り4分ほどで到着する寺域は、仁王門から十妙院にかけての「東谷」、摩尼殿(観音堂)を中心とした「中谷」、3つの堂(三之堂)や奥之院のある「西谷」に区分される。全山で三十数棟の建物が散在しており、その中には国指定の重要文化財も多く、ゆっくり見て廻ると半日以上は優にかかる。山内はアップダウンが多く、その多くが木々に覆われており、森林浴やハイキングの目的でも良いかも。
今回は、西国三十三所札所、天台宗の別格本山、大講堂等が国指定の重要文化財であることから参拝することに。参拝時は休日の昼前後で、天気が良いこともあり、かなり多くの参拝者・観光客が訪れていた。
書写山ロープウェイに乗って、山麓駅から山上駅まで4分間の空中遊覧。
いきなり観光モード全開。(o^―^o)
いきなり観光モード全開。(o^―^o)
山上駅から出たところの眺め。天台宗の<一隅を照らす>石碑。最澄の『山家学生式』で説いた一文。ここから東谷エリアのスタート。
平坦な参道を進むと、登り始めの場所にある<慈悲(こころ)の鐘>。
やがて参道脇に現れる、聖域入口の<仁王門>。三間一戸の八脚門、三つ棟造。
左側の<吽形仁王像>。
右側の<阿形仁王像>。
参道を進んで右側にある<壽量院>。かつての最重要塔頭寺院で、1174年に後白河法皇がここに1週間参籠された。国指定の重要文化財。
なお、事前予約をすると、なんとここで精進料理がいただけるとのこと。(;゚Д゚)
なお、事前予約をすると、なんとここで精進料理がいただけるとのこと。(;゚Д゚)
参道を進むと右側にある<十妙院>。室町時代の大名・赤松満祐が亡き娘を祀るために委託した寺院。
十妙院の現在の建物は江戸時代前期1691年の建立。国指定の重要文化財。
十妙院から「権現坂」を下って行くと、ここから中谷エリアが始まる。
参道右側にある<護法石>。別名<弁慶のお手玉石>。
参道右側にある<護法石>。別名<弁慶のお手玉石>。
参道突き当り、断崖の上に建つ<摩尼殿(本堂)>。平安時代末期の1174年に後白河法皇が「摩尼殿」と命名。
断崖の麓にある<三十三所堂>。
右側の階段を登って、<摩尼殿>に向かう。現在の建物は昭和戦前の1933年に再建。入母屋造、本瓦葺、懸造。
<摩尼殿>の内部。
摩尼殿の裏手の小高い場所にある<稲荷堂>。
西谷エリアに向かう途中にある<杣観音堂>。
観音堂の先にある<大仏>。
西谷エリアには3つの大きな建物がコの字に建っている。まず北側にある<大講堂>。平安中期の10世紀、花山法皇の命による建立。桁行7間、梁間6間、2重1階、入母屋造、本瓦葺。下層は1440年、上層は1462年の建造、1622年姫路藩主・本多忠政が修復。国指定の重要文化財。
3つの建物のうち西側に建つ<食堂(長堂・三宝院)>。桁行15間、梁間4間、入母屋造、本瓦葺。1174年後白河法皇の勅願で建立。現在の建物は室町時代中期といわれる。国指定の重要文化財。
大講堂と食堂の間にある<弁慶鏡井戸>。
食堂の2階から、南側の<常行堂>を望む。
食堂の2階は展示室に使われている。
3つの建物のうち南側に建つ<常行堂>。方5間、入母屋造の常行堂の北側に、正面10間、側面2間、切妻造、吹き放しの建物を接続している。写真は、大講堂と向かい合わせに建つ10間、2間の部分。国指定の重要文化財。
弁慶鏡井戸の奥にある<奥の院>エリアに進む。
奥之院エリアの入口すぐ、右側の斜面にある<不動堂>。
不動堂の右隣にある<護法堂>。<乙天社>と<若天社>から構成され、それぞれ社隅木入春日造、檜皮葺。鳥居2基とともに、国指定の重要文化財。
奥之院の最奥にある<開山堂>。開山の性空を祀る。
現在の建物は江戸時代前期1671年の再建。桁行5間、梁間6間、宝形造(方形造)、本瓦葺。国指定の重要文化財。
護法堂、不動堂と向かい合わせで建つ<護法堂拝殿>。桁行7間、梁間2間、切妻造、本瓦葺、懸造。戦国時代の1589年建立。国指定の重要文化財。
最後に、奥之院の南側のエリアを廻る。こちらは<金剛堂>。性空上人が生活をしていた場所に建っている。国指定の重要文化財。
こちらは<鐘楼>。国指定の重要文化財。
こちらは<法華堂(法華三昧堂)>。平安時代中期の985年に播磨国司・藤原季孝により建立。現在の建物・本尊は江戸時代の造立。
こちらは<榊原家墓所>。ここから帰途に就く。ロープウェイ山上駅に向かう。
帰り道に見た、<常行堂>の南側部分。
帰り道に見た<大黒堂>。
帰り道に見た<瑞光院>。圓教寺塔頭六院の1つ。
最後に、参道で見掛けたきれいなお花。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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