かわちくにたまじんじゃ
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河内國魂神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年07月20日(土)
参拝:2024年7月吉日
神戸市立王子動物園から北へ約1kmほどのところになります。
こちらも約3年ぶりの参拝。
拝殿にて参拝していると背後から足音が。
そして末社のほうへの足音が消えていったので、拝殿前を独占してはいけないな!と思い、そちらのほうを見ると!!
ご近所のご老人でしょうか。 末社前の石段に腰かけてビール?を飲まれているようでした😅
とても暑い日だったし、ちょうどよい木陰だったので、気持ちはとてもわかります。
御朱印はインターホンを押すと、奥様が出てきてくださり快くご対応くださいました。
<主祭神> 大巳貴命
<配祀神> 少彦名命 菅原道真公
<御由緒>~兵庫県神社庁HP~
当社の創始は、伊勢神宮開社の頃(西暦前3年)であると語り伝えられているが、正確な年号は判然としない。しかし、『延喜式神祇部』に所載の神社として、千数百年前既に由緒ある名社として尊崇されていたことが想像できる。
当社に祀られている御祭神の大己貴命は、少彦名命と力をあわせ国土経営に当られ、慈愛の心篤く福徳円満、医薬酒造の祖神、また、七徳兼備を称えられ広く尊崇されているが、一説には、摂津国造凡河内忌寸の祖を祀っていたのであろうといわれている。
延喜年間(901~)、菅原道貞公が筑紫の太宰府へ左遷の途次、御影の浜に船を泊めたとき、菅公との別れを惜しみひそかにこの地まで下向した師父尊意僧正(延暦寺第十三代座主)と社頭において餞別の際、その応待が極めて慇懃丁寧なるを垣間見た村人達が、菅公の没後、その勧学文墨の徳を慕って御霊を勧請合祀し、俗に五毛天神と称せられるようになった。
当社は元、この地方の大氏神として厚く崇敬され、昔は稗田・鍛冶屋・山田・篠原の四ケ村も氏子となっていたが、現在は五毛・畑原・上野の旧三ケ村が氏子である。
こちらも約3年ぶりの参拝。
拝殿にて参拝していると背後から足音が。
そして末社のほうへの足音が消えていったので、拝殿前を独占してはいけないな!と思い、そちらのほうを見ると!!
ご近所のご老人でしょうか。 末社前の石段に腰かけてビール?を飲まれているようでした😅
とても暑い日だったし、ちょうどよい木陰だったので、気持ちはとてもわかります。
御朱印はインターホンを押すと、奥様が出てきてくださり快くご対応くださいました。
<主祭神> 大巳貴命
<配祀神> 少彦名命 菅原道真公
<御由緒>~兵庫県神社庁HP~
当社の創始は、伊勢神宮開社の頃(西暦前3年)であると語り伝えられているが、正確な年号は判然としない。しかし、『延喜式神祇部』に所載の神社として、千数百年前既に由緒ある名社として尊崇されていたことが想像できる。
当社に祀られている御祭神の大己貴命は、少彦名命と力をあわせ国土経営に当られ、慈愛の心篤く福徳円満、医薬酒造の祖神、また、七徳兼備を称えられ広く尊崇されているが、一説には、摂津国造凡河内忌寸の祖を祀っていたのであろうといわれている。
延喜年間(901~)、菅原道貞公が筑紫の太宰府へ左遷の途次、御影の浜に船を泊めたとき、菅公との別れを惜しみひそかにこの地まで下向した師父尊意僧正(延暦寺第十三代座主)と社頭において餞別の際、その応待が極めて慇懃丁寧なるを垣間見た村人達が、菅公の没後、その勧学文墨の徳を慕って御霊を勧請合祀し、俗に五毛天神と称せられるようになった。
当社は元、この地方の大氏神として厚く崇敬され、昔は稗田・鍛冶屋・山田・篠原の四ケ村も氏子となっていたが、現在は五毛・畑原・上野の旧三ケ村が氏子である。
すてき
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