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三宮神社ではいただけません
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さんのみやじんじゃ

三宮神社のお参りの記録(1回目)
兵庫県旧居留地・大丸前駅

投稿日:2017年09月03日(日)
参拝:2015年7月吉日
 元町大丸前にある三宮神社へ。ここは戊辰戦争中、備前岡山藩とフランスとの間で発生した神戸事件のあった場所である。きっかけは、この神社前を大砲を曳いて行進中の岡山藩兵の一団を、フランス水兵が横ぎったことだった。これは当時の武家社会において共割と呼ばれる非常に無礼な行いで、隊長を務めていた岡山藩士・滝善三郎は、当然のことながら水兵らに警告する。このときお互いに言葉が通じなかったことが銃撃戦を招く。

事件後、神戸居留地にいた列強諸国は神戸中心部を軍事占拠し、兵庫港に停泊する日本船舶を拿捕した(このとき米国艦イロコイ号の艦長として拿捕に当たったのが、『坂の上の雲』にも登場し、若き秋山真之へ「海上権力史論」を講義したあのアルフレッド・マハンである)。結局、事件は伊藤博文や五代友厚らの奔走により、滝の切腹を持って決着することになる。日本側としては、滝の行為は「共割」に対する警告であって攻撃も当然とするものであったが、列強の強い要求の前に抗うことができなかった。同様のケースはこの事件のおよそ1か月後に発生する堺事件でも繰り返されることになる。

 なお、あまり語られることはないのだが、神戸事件から3日後、事情を知らない土佐藩士・本山茂任が土佐藩へ運ぶ途中の錦の御旗を、三宮神社付近で警戒中のフランス兵に奪われるという錦旗紛失事件が起こっている。こちらも伊藤博文らとフランス公使ロッシュとの交渉でなんとか事なきを得て、無事返還されている。
 当時、阿片戦争の敗北で中国の香港や上海は列強の植民地になっていた。交渉が決裂していれば神戸も同じ運命になっていたことは十分あり得た話で、理不尽な滝の死が、列強からの割譲から救ったという見方もできる。現在、三宮神社内には当時岡山藩士らが曳いていた大砲とほぼ同型のものが置かれ、境内の前のトアロードのアーチには、英文で事件のあらましと当時起こった悲劇を伝えていこうという願いが刻まれている。
 
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