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楽しみ方般若林八王寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月06日(土) 20時12分32秒
参拝:2025年8月吉日
神戸市兵庫区にあるお寺です。
お盆休みになりましたので 暑い昼間を避けて午後からの散策です。
いやほんと暑すぎですよ。14時すぎて30度をかるく超えてきます。
JR兵庫駅近くまで来ました。
こちら八王寺さん 墓所もあわせて 町中のお寺としてはずいぶん広いです。
街道に面しているのですが 石柱もあり門も立派ですぐお寺だと分かりました。
石柱ですが 上半分に「禅宗八王寺」とあり 下半分は「福昌寺」とある部分を削ってありました。
途中で改名したんですね。
門の外に 通称剣道のお寺と書かれていました。
週に2回剣道と座禅をされているようです。
ところがこちらには般若林道場と書かれていました。
寺号標にも般若林とあり 山号?林?と不思議に思いながら境内に入らせていただきました。
入って左手に立派な建物がありました。
扁額の字が読めなかったのですが 右の柱に「般若林中揮一剣」 左の柱に「鳳児打出八王禅」と書かれていました。
こちらで剣道と座禅を行っているのかな?と思いました。
本堂は入って正面の建物の2階ですが 中の様子は伺えませんでした。
1階の入口の左右には観音様(?)が 階段下の左右には金剛力士がいらっしゃいます。
少し変わっていますね。もしかしたら以前は山門があってそちらにいらっしゃったのかもしれません。
右手には庫裡と思われる建物がありました。
こちらには半魚人かと思うような狛犬がいます。
お堂の中が見られなかったのですが 境内だけで十分楽しんで(失礼しました)しまいました。
ネット情報です。
山号は延喜山般若林 宗旨は曹洞宗 開山は覺巖和尚です。
開山覚巌和尚が明石の晴雲寺からたびたび兵庫に来て 「文才縦横 手は覚巌 坐禅も少々可也 こんな雲水一匹要らんか」という幟をかかげて托鉢。
天保10年(1839) 能福寺所有の八王子社の一隅を借りて草庵を営み 般若林と称し 雲水を薫育した。
慶応3年(1867年)12月 兵庫随一の巨商北風家の別家 喜多二平翁の寄進により 山田村(北区山田町原野)の正定山成道寺末寺・無住の福昌寺を移すという形で建立し 福昌寺と称した。
2世柏巖の代に宗風興振し 明治元年(1868年)には有栖川宮家の祈願所となる。
大正9年(1920年)火災により国宝普賢菩薩・文殊菩薩及び本尊千手観音像を失う。
大正13年(1924年)大和法隆寺の中宮寺より 大楠公守本尊十一面観世音像を請じて札所の本尊とした。
戦災前までは 平野の祥福寺とともに禅林の大道場として知られていた。
昭和20年(1945年)3月 戦火に遭い 本尊及び諸堂が灰燼に帰した。
昭和27年(1952年)福昌寺を八王寺と改める。
お盆休みになりましたので 暑い昼間を避けて午後からの散策です。
いやほんと暑すぎですよ。14時すぎて30度をかるく超えてきます。
JR兵庫駅近くまで来ました。
こちら八王寺さん 墓所もあわせて 町中のお寺としてはずいぶん広いです。
街道に面しているのですが 石柱もあり門も立派ですぐお寺だと分かりました。
石柱ですが 上半分に「禅宗八王寺」とあり 下半分は「福昌寺」とある部分を削ってありました。
途中で改名したんですね。
門の外に 通称剣道のお寺と書かれていました。
週に2回剣道と座禅をされているようです。
ところがこちらには般若林道場と書かれていました。
寺号標にも般若林とあり 山号?林?と不思議に思いながら境内に入らせていただきました。
入って左手に立派な建物がありました。
扁額の字が読めなかったのですが 右の柱に「般若林中揮一剣」 左の柱に「鳳児打出八王禅」と書かれていました。
こちらで剣道と座禅を行っているのかな?と思いました。
本堂は入って正面の建物の2階ですが 中の様子は伺えませんでした。
1階の入口の左右には観音様(?)が 階段下の左右には金剛力士がいらっしゃいます。
少し変わっていますね。もしかしたら以前は山門があってそちらにいらっしゃったのかもしれません。
右手には庫裡と思われる建物がありました。
こちらには半魚人かと思うような狛犬がいます。
お堂の中が見られなかったのですが 境内だけで十分楽しんで(失礼しました)しまいました。
ネット情報です。
山号は延喜山般若林 宗旨は曹洞宗 開山は覺巖和尚です。
開山覚巌和尚が明石の晴雲寺からたびたび兵庫に来て 「文才縦横 手は覚巌 坐禅も少々可也 こんな雲水一匹要らんか」という幟をかかげて托鉢。
天保10年(1839) 能福寺所有の八王子社の一隅を借りて草庵を営み 般若林と称し 雲水を薫育した。
慶応3年(1867年)12月 兵庫随一の巨商北風家の別家 喜多二平翁の寄進により 山田村(北区山田町原野)の正定山成道寺末寺・無住の福昌寺を移すという形で建立し 福昌寺と称した。
2世柏巖の代に宗風興振し 明治元年(1868年)には有栖川宮家の祈願所となる。
大正9年(1920年)火災により国宝普賢菩薩・文殊菩薩及び本尊千手観音像を失う。
大正13年(1924年)大和法隆寺の中宮寺より 大楠公守本尊十一面観世音像を請じて札所の本尊とした。
戦災前までは 平野の祥福寺とともに禅林の大道場として知られていた。
昭和20年(1945年)3月 戦火に遭い 本尊及び諸堂が灰燼に帰した。
昭和27年(1952年)福昌寺を八王寺と改める。

通称剣道のお寺 だそうです

門は開いていました

社号の石柱 八王寺の下に福昌寺の字が

寺号標

本堂

境内入って左手に 般若林の文字

由緒書

境内社 稲荷社 鎮守堂だそうです

由緒書

内陣

顔怖い


本堂1階に


本堂前に


庫裡かな?

半魚人ですか?狛犬ですか?

ちゃんと対になっています
すてき
みんなのコメント(2件)
弘法 真魚関東人の感覚ですと、一見、「真宗のお寺さん」?と思いましたが、禅寺さんなんですね。
剣道のお寺さん
座禅で胆を練り、剣を通じて体を壮健にす
これ見て、いわゆる「僧兵」をイメージしてしまいました。
石仏さま方も、彫り深く、ぐいぐい前に出てくる感じ。
狛犬さんも、普通ではない(笑)
これはお寺さんに聞いてみたいですよね。
参拝者に、いろいろ考えさせる寺社さんは、ホントありがたい!
2025年09月07日(日) 18時34分35秒
弘法真魚さん こんばんは。
もう体の方はすっかり元気になられましたか?
引っ越しって すごいストレスですよね。心も体も。
マイ寺社で癒してくださいね。
座禅ってなさったことありますか?
私 心を無にすることができません。
次から次へと邪念が浮かび よくて30分だと思うのです。
さらに膝があかんので あぐらが組めません。
僧兵・・・比叡山延暦寺が浮かびます。
信長公との戦のイメージですね。
2025年09月08日(月) 21時43分20秒
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3001投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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