しんこうじ|時宗|西月山
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楽しみ方真光寺のお参りの記録一覧

神戸市兵庫区にあるお寺です。
兵庫区は昔 福原京のあった地です。
そのため 平清盛公に縁のある寺社が多くあります。
さらに 恥ずかしながら最近知ったのですが 一遍上人臨終の地でもあり 時宗のお寺も複数あります。
こちら真光寺は両者に縁のあるお寺です。
境内の裏手に中学校があるのですが その運動場より3倍ほど広い境内をおもちです。
お隣に広い公園もあり なおのこと広く感じます。
福原西国三十三観音霊場第33番札所でした。(拝受できず)
こちらの観音様は 漁師が和田岬の海底から引上げた観音様だそうです。
奈良時代から平安時代には 漁師が海から観音様を引き上げる話 けっこう聞きますね。
眉唾物だと思うより 流木が観音様に見えたとか 誰かが彫った観音様がたまたま流されたとか ポジティブに考えると少し面白いですね。
一遍上人が神戸で亡くなったことは知っていましたが こちら真光寺の観音堂にお住まいになっていて亡くなられたとは知りませんでした。
福原地域(兵庫区)には時宗のお寺が複数あり どちらも一遍上人とのつながりを伝えておられますが こちらは最も縁の地になるのでしょう。
境内には一遍上人の御廟もありましたが 歴史を感じる立派な建造物でした。
また平清盛公の御膳水の井戸があり 現在水が湧いているのか不明ですが 福原京を築いた平清盛公にも縁の地になっています。
ネット情報です。
山号は西月山 宗旨は時宗 ご本尊は阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩 創建年は仁明天皇(833年 - 850年) 開基は恵萼 中興年は建治2年(1276年) 中興は一遍上人です。
歴史については 仁明天皇(833年 - 850年)のころ 恵萼が唐より観世音を持ち帰り 和田岬で船が動かなくなったので 堂を建てて祀ったのが始まりという。
建治2年(1276年)一遍上人がこの観音堂に住して中興開祖となる。
正応2年(1289年)8月23日 一遍上人51歳で遷化。
遊行2世他阿上人が寺を建て 伏見天皇から真光寺の名を賜り 時宗の寺となる。
寺伝によると 赤松則村(円心)が境内8町四方 寺領数百を寄進とある。
一遍廟所は兵庫県指定記念物(史跡)に指定されています。
鎌倉時代後期に造られたようです。
一遍上人の遺体は 敬慕する沙弥教信のように野に捨てて獣に施せとの一遍の遺言でしたが 在地の人々の結縁により観音堂前の松の根元で荼毘に付し 廟を設けたとのことです。
HPをおもちですので借稿させていただきます。
真光寺は もと兵庫輪田の崎島「光明福寺」に創まり 宗祖一遍上人が念仏勧進の全国遊行の旅の途中 この地に立ちより1289年(正応2)8月23日観音堂に於いて臨終しました。
その後兵庫の信者達によって 荼毘(火葬)に付され 霊骨を五輪塔に納められ お木像を御影堂に祀り その遺徳を崇めました。
その後二祖真教上人は 伏見天皇に奏して「真光寺」の寺名を拝受し 播州守護職赤松円心より寺領を寄進され 七堂伽藍は荘厳を極め 寺地は三十八町四方に及んだといわれています。
次いで後醍醐天皇より「西月山」の山号を勅賜され 南朝の皇族「尊観法親王」が住持されてからさらに念仏の大道場として繁栄しました。
その後再三の兵禍や火災に遭遇し その都度再建されました。
近年に至っては 1945年(昭和20)3月 第二次世界大戦で空襲に遭い全山消失してしまいました。
現在の本堂は昭和37年再建されたものです。
更に1995年(平成7)1月の阪神・淡路大震災により御廟所 観音堂 鐘楼が倒壊し 1998年(平成10)5月に再建復興しました。
観音堂の御本尊はその昔 輪田岬の海底より霊光を放っているのを 漁師が引上げてみると観音様の御像であったので お祀りしたのが始まりであると伝えられています。

山門はありません 大檀林と書かれた石碑が迎えてくれます

遊行元祖 一遍上人示寂之地 の石柱

寺号標

境内はとても広いです

鐘楼も立派です

境内社 熊野権現社

由緒書

観音堂

平清盛公勧請弁財天(真野弁財天)

扁額

内陣

境内案内図

光明殿

本堂

内陣

無縁如来塔


六地蔵

一遍上人廟所の由緒

廟所の入口

一遍上人廟所

遊行柳 3代目

説明

真光寺亀

説明

平清盛公 御膳水の井戸

説明

真光寺 築造伝説

[福原西国三十三観音33番札所]
[兵庫七福神 福禄寿]
すごく広い境内でびっくりしました。
そこかしこに、平清盛公のゆかりが。
こちらは一遍上人の墓所でもあります。
広い境内ですが、とても綺麗にされています。
何より、境内にいる生き物全て、ご住職が大切にされているとのこと、たとえスズメでも全て。
このお考えに感服しました。

御朱印 福原西国三十三観音33番

御朱印 兵庫七福神 福禄寿

寺門

鐘楼

熊野権現社

熊野権現社について

観音堂

弁財天について

亀石

亀石について

御膳水の井戸

御膳水の井戸について

宝篋印塔

如来塔

廟所について

廟所入口

廟所の仏像

廟所

廟所五輪塔について

境内図

光明殿

本堂

仕事を少し早めに切り上げてお参りさせていただきました。
時宗 真光寺
ご本尊は阿弥陀如来
夕方5時頃に伺ったので締まっているかと思いましたが、門は開かれていたのでお参りすることができました。
とても見所の多いお寺でしたが、今回はあまり時間がなかったため、改めて訪れたいと思います。




本堂


光明殿

観音堂


観音堂

御詠歌碑

無縁如来塔

六地蔵尊

金仏地蔵

鐘楼堂

熊野権現社

熊野権現社由緒

真光寺亀


平清盛公 御膳水の井戸


寺務所前

寺務所前


兵庫七福神では福禄寿をお祀りしています。
仁明天皇の御代(833~850年)唐より恵萼が観世音菩薩像を持ち帰り平安京へ向かう途中、和田岬で船が動かなくなったので、その地に堂を建て祀ったのが始まり。



無縁如来塔

本堂


寺務所


観音堂
福禄寿様はこちらに居ます



熊野権現社



福禄寿

宝船

地下鉄海岸線「中央市場前駅」下車徒歩8分。福原西国三十三観音霊場第33番札所の時宗寺院。
ご本尊は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩です。
創建は、約1200年前の仁明天皇の代。唐より観世音を持ち帰った際に和田岬で船が動かなくなり、お堂を建てて祀ったのが始まりとされています。
その後、1276年に一遍上人が中興の開祖となり、生涯を閉じたとされています。
神戸としては珍しい時宗の寺院。近くには大輪田泊の運河や清盛塚などがあり、都市部のお寺としては広く散歩で立ち寄りたい雰囲気でした。
また京都時宗寺院巡りとして、神奈川の遊行寺とともに番外札所でもあります。
このことを知っていたにも関わらず、遊行帳(専用のご朱印帳)を忘れてしまい思わずしまったと思いました。
(その後、四季さんにお願いしていただいて無事にいただくことができました。)




弁財天堂です。

この先が一遍上人の墓所になっていました。





神戸七福神の福禄寿の札所でもありました。
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