みさきはちまんじんじゃ
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楽しみ方御崎八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年07月02日(水) 22時05分18秒
参拝:2025年6月吉日
神戸市兵庫区にある神社です。
ノエビアスタジアム近辺 和田岬の寺社巡りはこれで終わりです。
運河を渡る橋のすぐ手前に鎮座されています。
社殿は比較的新しいのですが 阪神淡路大震災後に建てられたとは思いませんでした。
そこまで新しくはないです。
ただ 大震災被害記念の碑は建てられていました。
町中の神社としては大きい方だと思います。
社務所はありますが この日は無人でした。
こちらは兼務社の三石神社で御朱印を拝受できますと書かれていました。
私は幸いに 三石神社を先にお参りしていましたので その際に拝受できました。
主祭神は神功皇后 配祀神は応神天皇と姫大神です。
神功皇后(321年-389年)が新羅遠征の帰途(363年)兵庫の津に滞在したことから 神功皇后に縁のある神社が複数ありますね。
ネット情報です。
清和天皇貞観年中(859~876) 山城国男山に 豊前国宇佐神宮より大神を奉迎し 鎮座いただいたのと 同時代の創建であると 寛文8年(1668)に石清水八幡宮公文所より下附されし由緒彫刻の金幣に記される。
石清水八幡宮と最も古く関係あることにより 公文所御鍵預かり役に補任せられ 慶長11年(焼失)から嘉永6年(1853)までの役向に対する補任状(神社文書六通)を有し 毎年春秋の例祭には男山へ鍵を奉持して神役に奉仕し 又御崎神馬秣を奉る嘉例があった。
「旧八部郡御崎村に鎮座す 境内に老樹疎立し 甚だ狭小にして風致に乏しき小祠なるより何人も由緒ある神社とは思はず されど敬神の念深きものは夙に御崎八幡の名を知り 且つ経歴の最も正しき旧社なることも知れり 故に参するものは真の信者なり」(『西摂大観上巻』より)「神馬秣同郡兵庫津和田地にあり 昔神功皇后征新羅帰朝し給ひて暫く船を此岬に繋ぐの時有人秣を献す」(『摂陽群談十七の巻』より)
ノエビアスタジアム近辺 和田岬の寺社巡りはこれで終わりです。
運河を渡る橋のすぐ手前に鎮座されています。
社殿は比較的新しいのですが 阪神淡路大震災後に建てられたとは思いませんでした。
そこまで新しくはないです。
ただ 大震災被害記念の碑は建てられていました。
町中の神社としては大きい方だと思います。
社務所はありますが この日は無人でした。
こちらは兼務社の三石神社で御朱印を拝受できますと書かれていました。
私は幸いに 三石神社を先にお参りしていましたので その際に拝受できました。
主祭神は神功皇后 配祀神は応神天皇と姫大神です。
神功皇后(321年-389年)が新羅遠征の帰途(363年)兵庫の津に滞在したことから 神功皇后に縁のある神社が複数ありますね。
ネット情報です。
清和天皇貞観年中(859~876) 山城国男山に 豊前国宇佐神宮より大神を奉迎し 鎮座いただいたのと 同時代の創建であると 寛文8年(1668)に石清水八幡宮公文所より下附されし由緒彫刻の金幣に記される。
石清水八幡宮と最も古く関係あることにより 公文所御鍵預かり役に補任せられ 慶長11年(焼失)から嘉永6年(1853)までの役向に対する補任状(神社文書六通)を有し 毎年春秋の例祭には男山へ鍵を奉持して神役に奉仕し 又御崎神馬秣を奉る嘉例があった。
「旧八部郡御崎村に鎮座す 境内に老樹疎立し 甚だ狭小にして風致に乏しき小祠なるより何人も由緒ある神社とは思はず されど敬神の念深きものは夙に御崎八幡の名を知り 且つ経歴の最も正しき旧社なることも知れり 故に参するものは真の信者なり」(『西摂大観上巻』より)「神馬秣同郡兵庫津和田地にあり 昔神功皇后征新羅帰朝し給ひて暫く船を此岬に繋ぐの時有人秣を献す」(『摂陽群談十七の巻』より)
すてき
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くるくるきよせん2992投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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