わたつみじんじゃ
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楽しみ方海神社のお参りの記録(4回目)
投稿日:2026年06月15日(月) 21時08分20秒
参拝:2026年5月吉日
海神社は神戸市垂水区にあります。
我が家の氏神様です。
子どもの頃から参拝していますし お祭りにもよく行きました。
この日は 近くで町の方とお食事会をするために垂水に来たのですが 到着が早すぎたため 初めて夕刻の参拝をさせていただきました。
鳥居前にフェンスがあって こちらからは入れません。
境内の一部が駐車場になっていて その出入口からは入れます。
駅からの参道も開いています。
境内には私一人しかいませんので 静かに参拝させていただきました。
もちろん時間外ですので御朱印はいただけませんが それでもこの時間の参拝は初めてでしたので十分満足です。
氏神様 これからもよろしくお願いいたします。
ネット情報です。
主祭神は上津綿津見神・中津綿津見神・底津綿津見神
社格は式内社(名神大)・旧官幣中社・別表神社
創建は(伝)神功皇后朝
宗教法人法による届け出では「わたつみじんじゃ」とされているが 「かいじんじゃ」ともいう読みも地元住民や氏子を含め広く知られている。
古くは あまじんじゃ・たるみじんじゃ 日向大明神 衣財田大明神。
「ワタツミ」の読みは本居宣長の説に基づき明治4年(1871年)に採用したものである。
『播磨国官幣中社海神社史』では「古例の通りアマもしくはタルミと読むべきである」としている。
「タルミ」の読みは 祭神の本来の名称が垂水神であったことによるものである。
「アマ」は 当社が海直(あまのあたい)の氏神であったことによる。
社伝によると 神功皇后が三韓征伐からの帰途 当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったため 皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり その縁でこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが始まりという。
『日本書紀』に記される広田神社・生田神社・長田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同様であるが 『日本書紀』の当該箇所に海神社に関する記述はない。
文献に現れる最も古い記述は 大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にある播磨明石垂水神に神封戸10戸を寄進するという記述。
当所は海上交通の要地であることから 古くから海上鎮護の神として崇敬を受けた。
『延喜式神名帳』では「播磨国明石郡 海神社三座」と記載され 名神大社に列している。
中世以降 戦乱等のために社勢が衰えるが 天正11年(1587年)に豊臣秀吉が祈祷料として垂水郷山内の山林を寄進 江戸時代にも歴代明石藩主が篤く崇敬し 毎年2月に参拝するのを通例としていた。
江戸時代の初頭より「日向大明神」と呼ばれていたが 明治4年(1871年)に国幣中社に列格した際に「海神社」に復称した。
明治30年(1897年)に官幣中社に昇格した。
高度成長期前までは大鳥居周辺は砂浜であり 文字通り「海の神社」であったが 1960年以降埋め立てが行われて 大鳥居の前面は道路や漁港となった。
私が子供の頃は 一部砂浜が残っていました。
我が家の氏神様です。
子どもの頃から参拝していますし お祭りにもよく行きました。
この日は 近くで町の方とお食事会をするために垂水に来たのですが 到着が早すぎたため 初めて夕刻の参拝をさせていただきました。
鳥居前にフェンスがあって こちらからは入れません。
境内の一部が駐車場になっていて その出入口からは入れます。
駅からの参道も開いています。
境内には私一人しかいませんので 静かに参拝させていただきました。
もちろん時間外ですので御朱印はいただけませんが それでもこの時間の参拝は初めてでしたので十分満足です。
氏神様 これからもよろしくお願いいたします。
ネット情報です。
主祭神は上津綿津見神・中津綿津見神・底津綿津見神
社格は式内社(名神大)・旧官幣中社・別表神社
創建は(伝)神功皇后朝
宗教法人法による届け出では「わたつみじんじゃ」とされているが 「かいじんじゃ」ともいう読みも地元住民や氏子を含め広く知られている。
古くは あまじんじゃ・たるみじんじゃ 日向大明神 衣財田大明神。
「ワタツミ」の読みは本居宣長の説に基づき明治4年(1871年)に採用したものである。
『播磨国官幣中社海神社史』では「古例の通りアマもしくはタルミと読むべきである」としている。
「タルミ」の読みは 祭神の本来の名称が垂水神であったことによるものである。
「アマ」は 当社が海直(あまのあたい)の氏神であったことによる。
社伝によると 神功皇后が三韓征伐からの帰途 当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったため 皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり その縁でこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが始まりという。
『日本書紀』に記される広田神社・生田神社・長田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同様であるが 『日本書紀』の当該箇所に海神社に関する記述はない。
文献に現れる最も古い記述は 大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にある播磨明石垂水神に神封戸10戸を寄進するという記述。
当所は海上交通の要地であることから 古くから海上鎮護の神として崇敬を受けた。
『延喜式神名帳』では「播磨国明石郡 海神社三座」と記載され 名神大社に列している。
中世以降 戦乱等のために社勢が衰えるが 天正11年(1587年)に豊臣秀吉が祈祷料として垂水郷山内の山林を寄進 江戸時代にも歴代明石藩主が篤く崇敬し 毎年2月に参拝するのを通例としていた。
江戸時代の初頭より「日向大明神」と呼ばれていたが 明治4年(1871年)に国幣中社に列格した際に「海神社」に復称した。
明治30年(1897年)に官幣中社に昇格した。
高度成長期前までは大鳥居周辺は砂浜であり 文字通り「海の神社」であったが 1960年以降埋め立てが行われて 大鳥居の前面は道路や漁港となった。
私が子供の頃は 一部砂浜が残っていました。

鳥居前にはフェンスがあり ここからは入れません

社号の石柱(円柱)

鳥居横の狛犬 子連れ阿

子連れ吽

もう一対


手水舎

立派な拝殿

だ~れもいない 静かに参拝できました

境内には私一人だけ

境内社の鳥居

扁額には3柱 猿田彦大神・蛭子大神・稲荷大神

奥の鳥居

あれ?こちらは2柱 稲荷社・猿田彦社

手水

狛犬と狐 阿

狛犬と狐 吽

拝殿は新しいです

内陣

七福神
すてき
みんなのコメント(4件)
先ほどコメントくださり、ありがとうございます。
京都在住ですが、今まであまり神社仏閣に興味もなく💦でしたが、御朱印集めが楽しくて興味をもつようになりました。
まだまだヒヨッ子ですが、良かったらまた覗きにきてくださいね😃
2026年06月16日(火) 00時46分18秒
フォローありがとうございます。
以前から神社は大好きでしたが、先月からフッと御朱印が欲しい!っと思い立ちこのアプリと出会い、加速度的に神社巡りにハマっています。
くるくるきよせんさんの参拝ヶ所!凄いです!参考にさせていただきます。
新参者ですが、どうぞよろしくお願いします。
2026年06月16日(火) 00時54分23秒
くるくるきよせんさん、初めまして。
コメントとフォローをありがとうございます。まだ神社仏閣巡りや御朱印集めは始めたばかりで初心者ですがよろしくお願いします(*^^*)
2026年06月16日(火) 05時57分38秒
いつもコメントありがとうございます。
川床の食事どころはお高くて手が出ませんでした。いつか行ってみたいと思います。
京都編の投稿は、法林寺にて完結しています。ですが、まだまだ行き足りないので、リベンジしたいですね。
2026年06月16日(火) 07時43分47秒
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん3558投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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