はずはちまんじんじゃ
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973年京都の石清水八幡宮を勧請して源満政(源満仲の弟)が創建したと伝わる。
源満仲は多田荘、満政は波豆荘に領地があり、清和源氏の八幡神信仰の源地とされる。
現在の本殿は1403年に再建されたもので重文指定されている。
鳥居は1425年の建立。
千苅ダム建設で水没した波豆集落にあった金福寺跡から五輪塔、宝篋印塔 、碑板が境内に移設されている。
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
諏訪社・厄塚・金毘羅社
石清水
三田のお参りで通りかかり、気にはなっていたのですが駐車スペースがなくて行けなかったところです。
意を決して止めてお参りに。
湖に面して鳥居があり、登ると境内に入れます。
国宝と看板があったのですが、重文のようです。
が、かなり歴史の深い場所であると想像出来ます。
無人でしたので御朱印はいただけずでした。
鳥居
国寶八幡神社の石標
境内への道
境内前鳥居
鳥居について
境内への石段
拝殿
由緒
本殿
本殿について(国重文)
諏訪社
厄塚
金昆羅社
石清水
名称 | 波豆八幡神社 |
---|---|
読み方 | はずはちまんじんじゃ |
通称 | 厄神 |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 《主》応神天皇,《配》建御名方命,建姫宮命 |
---|---|
創建時代 | 973年(天禄4年) |
文化財 | 本殿(国指定重要文化財) |
ご由緒 | 摂津源氏の祖、源満仲公の弟、鎮守府将軍部輔源満政公連立と伝える。満政公は晩年宮職を退されこの波豆の里に隠棲諏訪神社の神宮寺、金福寺に入り律師満政を号して佛道に精進。童子が宝珠を捧げ持って現れ「此の宝珠は護国の珠ふり請う以って垂迹の印をませ朕はこれ八幡麿なり」と満政公に手渡すと忽然と消え去りし時、満政公その他に跪き謹んで宝珠を奉載し宮社を築き自から一刀三拝の禮をもって神影を彫刻し社奥に御祀した。 |
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