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こんしんじ|真言宗御室派如意山

金心寺
兵庫県 フラワータウン駅

御朱印について
御朱印
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パーキング
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その他の巡礼の情報

有馬郡西国観音霊場第十九番札所

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きどっち
2022年08月04日(木)
1160投稿

真言宗御室派 如意山 金心寺(こんしんじ)

天智天皇7年(668年)、藤原鎌足の子供とされる定慧上人による建立。
兄・有間皇子の菩提を弔う為に開いたのが始まりとされています。
七堂伽藍をそなえ、広大な寺域を持ち、三田は金心寺の門前町としてとても栄えたそうです。

天正6年(1578年)、荒木村重が織田信長に対して謀反を起こしたことにより有岡城の戦いが起きます。
このとき三田城城主は荒木家一族が務めていたため、三田城は羽柴秀吉や明智光秀に攻められ落城してしまいます。
その兵火により金心寺も焼失、御本尊は三田御池に沈められ難を逃れたそうです。
江戸時代には侍町に薬師堂として再建され、明治になって現在地に移され、御本尊は引き上げられて安置されました。
この御本尊の弥勒菩薩坐像の体内から胎内から「金心寺三福田(恩田・敬田・悲田)により三田と改める」という文字が発見され、三田という地名が起こったとのこと。

この三福田(恩田・敬田・悲田)とは、
「人を敬う心の田」
「恩を忘れない心の田」
「困っている人を助ける心の田」
なのだそうです。

この御本尊(弥勒菩薩坐像)のほか、弥勒菩薩坐像や絹本著色十一面観音画像が国の重文に指定されています。

ちなみにその後の三田城城主は次々と替わり、寛永10年(1633年)から九鬼水軍で名の通る九鬼久隆が鳥羽城から移り、そこから260年ほど九鬼氏が三田藩主を務めました。
歴代の藩主が余生を過ごしたとされる御下屋敷の黒門がこの金心寺の山門として移築されています。

御朱印もあるようなのですが、どうもご不在だったようです。
またご縁があればいつかいただきたいと思います。

金心寺の建物その他

寺標

金心寺の山門

山門
三田藩主御下屋敷の黒門が移築されたもの

金心寺の手水

御手洗所

金心寺の本殿

本堂

金心寺の仏像
金心寺の建物その他

護摩堂

金心寺の末社
金心寺の歴史
金心寺の歴史
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歴史

金心寺は、藤原鎌足の子供とされる定恵上人が兄である有間皇子の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられています。

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金心寺の基本情報

住所兵庫県三田市天神3-28-45
行き方
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名称金心寺
読み方こんしんじ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0795-63-3084
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊弥勒仏
山号如意山
宗旨・宗派真言宗御室派
開山・開基定恵上人
ご由緒

金心寺は、藤原鎌足の子供とされる定恵上人が兄である有間皇子の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられています。

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