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塩田八幡宮の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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御朱印帳にお書き入れ | ¥300- をお納めいただきます。 -------------------- ◎初穂料のお納めのタイミング
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御朱印帳 | - | ありません | |
参拝時間 | ●参拝可能時間
-------------------- ●ご祈祷受付・御守等の授与
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電話番号 | 078-985-2863 |
最新の御朱印・御朱印帳の投稿
三田のお参り、本日最後は塩田八幡宮。
810年ごろには大歳神社として存在していました。その後、石清水八幡宮より勧請し塩田八幡神社と称せられたようです。応仁の乱で焼失するも再興し、三田藩九鬼家から手厚く寄進奉納されていたようです。
鳥居を潜ると長い石段、結構な勾配です。登りきると朱塗りの社殿が見えてきます。豊かな鎮守の森に囲まれてました。斜面に作られている感じで境内は広くはないですが、多くの摂社末社がありました。
御朱印いただきました。
社号標と鳥居。
長い参道を抜けると鳥居と石段が見えてきます。
石段途中にも鳥居。さらに登る。
こちらが社殿です。写真左手に社務所。
社殿右側。
巨大なおみくじ。
武内神社。
左から武内神社、若宮八幡宮、神明社、山ノ神社。
右に稲荷神社、左に高良神社。
剣御前社、奥に水神社。
厳島神社
今年の4月に参拝してから約半年ぶりの参拝。
9月19日、公式にホトカミを始められたとのことで投稿されていたため、再びお参りさせていただこうと思い伺いました。
前回参拝時に、「7月の夏祭万灯祭を見てみたいな」と思っていたのに、気付いたらもうとっくに過ぎてました😅
塩田八幡宮さんは、とにかくまっすぐ伸びた参道とその両脇には広大な田んぼが広がり、参道を歩くだけで清々しい気分になります。
そして階段を上った先に見える社殿は朱色が鮮やかで思わず見惚れてしまいます。
以下、塩田八幡宮HPの御由緒より
『当宮 創始不詳ではあるが 大同年間(810頃)には「大歳神社」と称し 御歳神を奉祀すると古記録に見える
その後 山城国(京都府八幡市)石清水八幡宮より 応神天皇・神功皇后・玉依姫命(比咩大神)の御神霊を勧請合祀され 石清水八幡宮別宮「塩田八幡神社」と称せられた
摂津国塩田庄なるこの地は 鳥羽天皇(1103~56)のころ 后妃女房 美濃局の荘園ともなったが 保元元年(1156)以前には 石清水八幡宮への寄進により 同宮並に宿院極楽寺領荘園となり 神宮寺としての体裁を成した
延元元年(1336)には摂津国守護職赤松範資より社領寄進を得たが 応仁の乱(1467~77)により社殿その他の建造物を焼失
明応8年(1499)に社殿を再興し 享禄元年(1528)には再度石清水八幡宮より御宝体を拝受 奉斎し得た
守護職赤松氏の尊崇は歴代篤く 戦陣に於いては常に当宮を祈願所とし 寺社領のみに留まらず 梵鐘等の寄進も得 更には徳川幕府下 明暦3年(1657)社殿再建時には三田藩主 九鬼隆昌より浄財寄進があり 九鬼家当主代々よりの奉納 寄進が続いたものである
維新回天の業は当宮にも変革をもたらし 従前の神仏習合を改める目的の神仏分離令(1868)により神宮寺が廃される 明治5年(1872)には村社に列し 大正11年(1922)11月郷社に昇格 昭和38年(1963)社名を「塩田八幡宮」と改称して現在に至る』
御朱印
一の鳥居とまっすぐ伸びた参道
一の鳥居近くにはヒガンバナが群生していました
参道横の田んぼですが、前の週の台風の影響でしょうか。
稲がかなり倒れてしまっていました。
二の鳥居
三の鳥居
拝殿
社務所側から見た拝殿と御神木
本殿
御神木
桧と山桃が根元でくっついています
手水
武内神社
若宮八幡神社
神明神社
山ノ神社
と、ここで一匹のヌマガエルが飛び跳ねてきて、私の前でピタリ。
今年はカエルとトンボがよく私の前に来てくれます。
ここからは参道途中の末社です。
高良神社と稲荷神社
剱御前社
石清水祠
水神社
厳島神社
永代墓「みささぎ」
塩田八幡宮の御朱印・御朱印帳の写真一覧(10枚)
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