ぐぜいじ|曹洞宗|清瀧山
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曹洞宗 清瀧山 弘誓寺
樹齢800年といわれる大銀杏で有名な弘誓寺です。
昨年の夏に一度お参りさせていただきましたが、その頃は当然葉も青々としていたのですが、境内の中央にどっしりと根を下ろした大銀杏の迫力に圧倒されました。
これは絶対紅葉の季節に見に来なければ!と思っていたものの昨年の秋は都合がつかず、今年ようやくリベンジができました。
月曜日だったこともあって参拝者はそこまで多くなかったですが、臨時の駐車場も設けられ、境内には一眼レフのカメラを持った方が多く見受けられました。
孝徳天皇白雉年間(650-654)、法道仙人によって開かれた天地山極楽寺が始まりとされ、「槙が峰・千軒坊」と呼ばれるほど多くの僧坊が建っていたそうです。
ところが、寿永3年(1184年)、平家を追っていた源義経が火を放ったため全山焼失してしまいました。
御本尊は滝に難を逃れて無事だったそうで、文明5年(1473年)に伽藍が再建され、曹洞宗清滝山弘誓寺と名を改めたとのことです。
御本尊 宇土観世音菩薩
御詠歌
誓いにて 今彼の岸に浮かぶ身は 弘誓の舟に帆は槙が峰
義経が槙ヶ峰の寺院を焼き討ちした後再建された「弘誓寺」
兵庫r306池上杉線より南側の畑と田んぼと家々を抜けた山の中腹。ちょとわかりにくいけど県道沿いから塔が見える。道はやや狭い。
寺の北側に無料駐車場あり。
「清瀧山」と「弘誓寺」の石標の間の緩い階段を登り山門。途中に池。
山門潜って正面奥に本堂。手前にでっかいお地蔵さんと二重塔。
塔の北側に溜池みたいなのがあってその前に末社。
石垣で囲われた境内。
法道仙人創建で、当時は「槙が峰千軒坊」と言われる巨大なお寺群だったが、寿永三年源平の戦乱で、源義経が平氏を追って槙が峰に差し掛かった時、ここに伏兵あり!と見て夜間に火を放ち山全体を焼き払う。
後に文明五年に再建。
やることなすこと派手な義経らしいエピソードだ
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曹洞宗 清瀧山 弘誓寺
「宇土の観音さん」と親しまれている、丹波篠山市宇土の曹洞宗古刹です。
病気封じのご利益があるそうで、毎月17日に月例祭が行われているようです。
また境内中央には大銀杏があり、とても存在感があったのですが、秋になると黄金色に輝いてさらに大きく見えるのではないかと思います。
この辺りは紅葉もとても綺麗に色付くようなので、紅葉の赤と銀杏の黄色、これは見逃せませんね。
御朱印は庫裏のインターホンを押すとご対応していただけます。
御朱印には銀杏の葉の絵がささやかに添えられています。
縁起は弘誓寺HPより転載させていただきます。
『当山は、今より約1360余年前、孝徳天皇白雉年間(650-654)に法道仙人の草創せられた古刹である。 はじめは天地山極楽寺と称し、ご本尊は仙人一刀三礼の御作、面貌円満威徳殊勝の聖観世音菩薩である。当時は、 槇が峰一帯に僧坊が軒をつらね、今に「槇が峰千軒坊」と伝えられる仏法繁盛の霊地であった。
ところが寿永三年(1184)源平の兵乱に際し、源氏の大将源義経が、平氏を追って槇が峰にさしかかった時、 千軒坊に平氏の伏兵ありと見て、夜間火を放たしめた。折しも風烈しく、全山一時に焼尽したが、 ご本尊は無事滝の水底に難を逃れられた。その後、近村のある人が、観世音菩薩の霊夢により危うい命を助かり、 夢のおつげに従って、滝の水底より菩薩をさがしあてた。これがまぎれもなく極楽寺のご本尊であったので、 直ちに庵を結んで安座し奉った。
その後、中興開山亀翁松鶴大阿闇梨によって中興され、また、文明五年(1473)玉山良石禅師が来られ、 伝法開山として伽藍を再建し、清滝山弘誓寺と改めた。
こうして干軒の道場も世の有為転変にならって事変をまぬがれなかったが、 ご本尊宇土観世音菩薩のご霊験は時とともにいよいよあらたかであり、 菩薩の威神力を仰ぐ人々はこの地に参詣して今も絶えることがない、まことに霊験顕著の観音霊場である。』
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