曹洞宗
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方円通寺のお参りの記録一覧
絞り込み


曹洞宗 永谷山 円通寺
氷上郡西国三十三ヶ所観音霊場 第十九番札所
丹波もみじめぐり十ヶ寺の一つです。
昨年5月にお参りして以来約1年2か月ぶりの参拝。
今年は青もみじに加えアジサイがとても綺麗に咲き誇っていてとても癒されました。
今回は丹波もみじめぐりの青もみじ版として寄らせていただきました。
前回参拝時は納経所がたまたまご不在だったようで「もっと功徳を積みなさい」ということかな?と思って御朱印を断念していました。今年は無事に拝受でき一年間いろいろとお参りを積み重ねてきて良かったと思う一日でした。
すっかり丹波地方に魅了されて、年に何度か来ていますが、とても自然豊かで特に紅葉が素晴らしく紅葉の季節には多くの観光客が押し寄せる地域になります。
秋にはどこも紅く染まった紅葉でいっぱいになり、日本っていいなぁと思えるところですが、春から夏前の青もみじの季節も新鮮で清々しい気持ちになれ、この時期の但馬も最高ですよ。
ご本尊 如意輪観世音菩薩
永徳2年(1382)正月、将軍足利義満が後円融天皇の勅命により創建した600年以上の歴史を持つ曹洞宗の名刹です。
ご本尊は後小松天皇自ら一刀三礼で彫り、下賜されたものとされています。
織田信長の命により丹波平定を命じられた明智光秀によってこの辺りの多くの寺院は焼失しましたが、地元の豪氏荻野喜右衛門の説得によって兵火を逃れたそうです。

曹洞宗 永谷山 円通寺
氷上郡西国三十三ヶ所観音霊場 第十九番札所
将軍足利義満が永徳2年(1382年)、後円融天皇の勅命により創建されました。
年号の首字より「永谷山」、天皇の宝号より「円通寺」と名付け、勅願寺と定めたとのこと。
室町から江戸時代の全盛期には、200を超える末寺院を有していたそうです。
天正3年(1575年)、織田信長より丹波平定を命じられた明智光秀は丹波攻めを行う際、この地域の多くの寺社が焼き払われたそうです。
円通寺もその危機にあったそうですが、地元の豪氏荻野喜右衛門が明智光秀の本陣に赴き、必死の説得の末に明智光秀が受け入れ、兵火を逃れたと寺伝に残されているそうです。
そのときの光秀直筆の下馬札と禁制が遺されているとのこと。
現在の本堂や庫院は、江戸時代に再建されたものだそうで、本堂軒下の彫刻は中井権次一統によるものだそうです。
(中井権次一統は、丹波柏原藩の宮大工)
納経所は閉まっており、境内にはお参りに来られている方以外は見当たらず、御朱印は拝受できませんでした。
もっと功徳を積みなさいということですかね。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ




























