いわやじんじゃ
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楽しみ方石屋神社のお参りの記録一覧

R28を南に歩いて岩屋海水浴場の前に鎮座されている
石屋神社へ向かいました。
御祭神は
国常立尊(クニトコタチノミコト)
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冊尊(イザナミノミコト)
をお祀りされています。
創建年は不明です。
元は北に300mの三対山に鎮座されていたのですが
源平合戦により荒れてしまいました。
大内義興によって三対山の山城が再建される際に
現在地に遷座されました。
神功皇后が戦勝祈願をされた等の逸話もあり
歴史を感じるお社様です。
早朝にも関わらずパラパラと絶え間なく
参拝者が来られていました。
服装からみて観光客ではなく明らかに近所の方達で
とても大切にされていることが伝わりました。

















淡路市岩屋にある神社です。
境内の中に駐車スペースがあり 参拝しやすいです。
車を停めてから 一旦大回りして鳥居へ。
鳥居の後ろに門があるのですが これは神門ではなさそうです。
社務所もこの門の中にあります。
調べたところ 長屋式門というそうです。初めて知りました。
まだ暑い時間 手水で腕を冷やさせていただき 本殿へ。
石段を上がると 右手に献灯があり 名前が 「渡哲也」 と。
ネットで調べると 渡さんは淡路出身だったんですね。知りませんでした。
拝所でご挨拶をさせていただいて 内陣を除いてみました。
ネットが張られていて 内陣の様子がはっきり撮れませんでしたが 中に本殿がありました。
境内社が2つあり 稲荷神社と八百萬神社でした。
どちらも覆屋の中に祠がありました。
社務所に伺うと無人でした。
う~~~と思ったら書置きの御朱印がありました。
良かった~。
だいぶ日が傾いてきたので この日はこちらで終わりにしました。
ネット情報です。
石屋神社は 平安時代に書かれた 延喜式に登場する淡路で最も古い神社のひとつです。
天地大明神 岩屋明神 絵島明神などと呼ばれた神社でもあります。
もともとは現在地の300mほど北にある三対山(城山)にあったそうですが 後土御門天皇の御代 大内義興による築城のあおりを受けて現地になったようです。
春分・秋分の日には 社殿で鳥居の中央から昇る日の出を見ることが出来ます。
淡路島には太陽神を信仰する地と感じる神社が多くありますが この石屋神社も太陽の道筋を考えて作られた神社のようですね。
ご祭神は國常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)です。
國常立尊は『日本書紀』本文では 国常立尊を最初に現れた神とされている神様です。
また 『古事記』においては神世七代の最初に現れた神様で 天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為す神様とされています。
伊弉諾尊・伊弉冉尊は国生み神話に出てくる神様。
そして 日本の数多くいらっしゃる神様をお産みになられた神様です。
本殿の天井には淡路に3つしかない 干支をあしらった方位磁石があるそうです。
神功皇后三韓征伐のおり 対岸の明石垂水の浜で風波にあわれ 渡海に難渋し 風待ちのため岩屋に着岸。
三対山上の石屋明神に参拝し 戦勝を祈願され 「いざなぎやいざなみ渡る春の日にいかに石屋の神ならば神」と詠じ給うと 風波が止み 海上は静まったという言い伝えがあります。

鳥居と長屋式門(初めて知りました)

鳥居には注連縄も

敬神生活の綱領

手水舎

石段を上がります

渡哲也さんの献灯

本殿・拝殿

狛犬は新しい



かわいらしい絵馬

拝殿の扁額

内陣 ネット越しです

境内社 稲荷大明神の鳥居

覆屋の中の祠

境内社 八百萬神社

本殿覆屋

彫刻は神馬でしょうか

覆屋の中の祠

【石屋神社(いわやじんじゃ)】
石屋神社は、第10代崇神天皇(在位:BC97-BC30)の時代には、三対山(300m北にある)に鎮座しており、淡路島で最も古い神社だとされる。戦国時代に城が築かれた時に現在の場所に社殿を移している。神社は岩屋海水浴場に面しており、春分・秋分の日には、社殿から鳥居の中央に昇る日の出を見ることができるようです。
-祭神ー
①国常立尊(くにとこたちのみこと)…神世七代の一代目にあたる独神。
②伊弉諾尊(男神・いざなぎのみこと)
③伊弉冉尊(女神・いざなみのみこと)
…国生み神話に登場する天地創造の神。神世七代の最後に出現した神。
神徳:厄除け開運、子孫繁栄、恋愛成就、殖産興業、縁結び。

【長屋式門】

【鳥居】



【手水舎】

【拝殿】

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【天地大明神の扁額】


【本殿】

【八百萬神社】

【八百萬神社】

【石灯籠】
石原プロモーション。


【大和島】

【大和島】
左奥に絵島。

【柿本人麻呂の歌】

【絵島】
国生み神話に登場する「おのころ島」伝承地のひとつ。

【西行の歌】

【絵島】

【絵島】

【絵島】
頂上の鳥居でトビが羽を休めています。天気の回復を待っています。

【恵比須神社】

【恵比須神社】

【岩樟(いわくす)神社】
岩樟神社の祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、そしてこの二神より生まれた蛭子(ひるこ)の三神。蛭子(事代主命(ことしろぬしのみこと))は一般には「えべっさん」の名で親しまれ商売繁盛の神であり、「西宮のエビスさん」の本家は岩屋であるという説があります。

【岩樟神社】
伊弉諾神宮でみた岩楠(いわくす)神社は楠(夫婦大楠)で、こちらは岩(洞窟)のほうだなと思った次第。


【御朱印】

【御朱印】

【御朱印】

石屋神社 (いわや神社)
~いざなぎや いざなみ渡る 春の日に
いかに石屋の神ならば神~
御祭神 国常立尊
伊弉諾尊
伊弉冉尊
社格 式内社(小)
旧郷社
例祭日 5月15日
別称 天地大明神
絵島明神
岩屋明神
(扁額 小野道風)
御由緒
創立年月不詳なれども伝へいう崇神天皇(第十代天皇)の御代三対山に鎮座せられ絵島明神といい垂仁天皇(第十一代天皇)の御代石屋明神という神功皇后(皇紀八百六十年頃)三韓征伐の際対岸明石郡垂水の浜より当浦に着船せられ三対山の頂上に於て戦勝を祈願せられ凱旋の時又参拝ありて報賽せらるるという延喜式の制小社に列し白河天皇(第七十二代天皇)承暦四年禍穢によりて使を派し清祓を科すべき事を卜奏せり二条天皇(第七十八代天皇)長寛元年「天地大明神」と勅定せられ神階を昇叙し神供田を寄進せらる
源平争覇の頃岩屋浦兵火の巷と化せしかば当神社多く什宝古記録の烏有に帰せしめたり
土御門天皇(第八十三代天皇)の御代大内義興将軍義植を奉じて京都に入らんとし当地に軍を進め三対山に岩屋城を築きし時当神社を海浜なる今の地に遷座せり
池田氏淡路を領せし際社殿を再興し寛政八年領主蜂須賀候親しく参拝し文化十四年又直参を見たり明治六年二月郷社に列せらる。 以上
神功皇后三韓征伐のおり、対岸の明石垂水の浜で風波にあわれ、渡海に難渋し、風待ちのため、岩屋に着岸。三対山上の石屋明神に参拝し、戦勝を祈願され、「いざなぎやいざなみ渡る春の日にいかに石屋の神ならば神」と詠じ給うと、風波が止み、海上は静まったといいます。
扁額は天地大明神(小野道風筆)。
国生みの発端の地
絵島明神、岩屋明神とも呼ばれました。
この岩屋の対岸、明石市材木町に岩屋神社が鎮座、当社が波の浸食で海中に没しようとしていたので、淡路まで迎えに来て勧請されたと伝わります。
また、『平成祭礼データ』より、
「成務天皇十三年六月十五日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く、明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を賜わる。亦当社は式内社伊和都比賣神社に比定される。」とあります。
平安時代編纂の『延喜式神名帳』には、淡路国に13座の神社が掲載されていますが、そのひとつが石屋神社で 淡路で最も古い式内社ということになります。
天地大明神とも称し、高雄山観音寺はその別当。
祭神は、国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三座。
春分・秋分の日には、社殿に立てば鳥居の中央から昇る日の出を拝むことができます。
古代にはヤマト王権への海の入口に位置し、しかも速い潮流の場所であったため、神話や伝説が生まれたと考えられています。
俳優・渡哲也(淡路町立石屋小学校を卒業)
さんが奉納された灯籠があります。
淡路では現在当社のみ、
「干支方位盤」 が掲げられています。
狛犬さま 阿吽ともに角がありました。
道路に面して、かなり横に長い侍長屋形式の門守殿があり、その中央に入口の鳥居が立つ形式。鳥居をくぐり、階段を上ると境内です。
御神事でお忙しい中、神秘的で温かなお話を
伺うことができました。
式内石屋神社の宮司さまを51年もの間お勤め下さり、国常立尊の偉大さとお聲が聞こえるとのこと。
もとの鎮座地三対山と大内義興公と、池田氏。
侍長屋形式の門守殿は池田の殿様の再興の折の蝶の瓦が沢山あったそうです。
先日神殿の上の段をお掃除されていると、
漆黒の蝶が宮司さまの周りをひらひらと舞い
離れなかったそうです。
瓦の家紋の蝶だったそうです。
2時間後御先祖のお墓に向かうとそちらにも
その大きな漆黒の蝶がいたそうです。
屋外で見ると漆黒の中心に大きな金の紋と
周囲に無数の金粉が散らばっていたそうです。こんなこと初めてだったのと。
お話を伺いながら、山口市で瑞雲山龍福寺(曹洞宗)をお参りさせて頂き、毛利氏に滅ぼされた大内義長公のこと(毛利家と大内家のこと)、
のぶさんの奥様の中尊寺(毛越寺)での出来事と千姫のことが浮かび、
日々の精進と信念の大切さを感じました。
ありがとうございました。
石屋神社
TEL:0799-72-3155
兵庫県淡路市岩屋799











角のある狛犬さま♡🌈

扁額 天地大明神 (小野道風筆)




御本殿











長寿こんぶまで頂戴しました
食すのが勿体なくて♡🌊

渡哲也さん奉納の灯籠







淡路国津名郡の式内社です。淡路国の式内社では最北端に位置しており、三韓征伐の際には戦勝祈願を受けた由緒正しき神社です。

《鳥居と神門》
もう少し北へ走ると境内へ車で入れます。

《手水舎》

《社務所》
いらっしゃった宮司の奥さんから御朱印をいただけました👍👍

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
25年前の阪神淡路大震災で当社も被災しましたが、この辺の地形が岩石だったことから神社が崩れることはなかったそうです。
ただ、瓦はかなり落ちたので、今の改修が済んだ社殿は銅板葺に替えたとのこと。

《賽銭箱》
桐紋が描かれてますね。

《末社・稲荷社》
いつもお世話にn(ry

《本殿》
春日造です。淡路国の式内社は春日造が多かったです。

《神輿庫》
扁額がきれいですね。

《慰霊碑》

《太平洋》
とてもいい天気でした。最近海で泳いでないなぁ…
淡路で最も古い神社の一つ「石屋神社」
R28沿い。岩屋海水浴場の前らへん。
駐車場境内。
国道沿いにある鳥居をくぐり、階段を登り、左右に社務所。正面の階段をまた登り拝殿。
拝殿左側に八百萬神社、右側は稲荷大明神に神輿庫、慰霊碑。
淡路岩屋といえば俳優の渡哲也さんゆかりの地。
ってことで、階段登ってすぐの石灯篭に渡哲也のお名前発見。石原プロって書いてるから本物だよね、、、。
マイカー最後のドライブで鳥居発見で参拝。
この辺は高低差がほとんどないが、拝殿は高台にあるので海が見える、風はキツイ。

拝殿

鳥居。これ以上バックしたら道路にはみ出る。

拝殿前から。うーみー

拝殿の横
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