いざなぎじんぐう
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方伊弉諾神宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月03日(水) 16時26分14秒
参拝:2025年8月吉日
県道31号線から県道88号線へ左折しました。
その先に鎮座されているのは伊弉諾神宮様です。
さすがは淡路国の一宮という感じて
一気に🚶と🚲と🚗が増えました。
無料🅿️があるのですが🈵️に近い状態でした。
何とか一台分空いていたので待つことなく
停めることが出来ました
御祭神は
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)
をお祀りされています。
わが国最古の歴史書「古事記」や国史「日本書紀」は
天地開闢の説話から始まります。「天地はじめて發ひらけしとき」に高天地に造化三神が
現われて続く神世七代で現れた伊弉諾尊と伊弉冉尊に「この漂へる国を修理固成」と
命ぜらました。
二柱神は天の浮柱に立ち天沼矛で大海原をかき回し
矛の先から滴り落ちた雫が「淤能碁呂島」となります。
↑
(絵島という説)
この島に降り立った二神は夫婦の契りを結び
国生みの儀式を行い最初に誕生したのが
淡路島(淡道之穂之狭別島)で 続いて四国 隠岐 九州
壱岐 対馬 佐渡 本州と生まれ「大八洲」と呼ばれる
古代日本の国土が出来上がりました。
その後、伊弉諾大神が御子神の天照皇大御神に
国家統治の権限を委ねて淡路の多賀の地に
「幽宮」(カクリヤ)を構えて余生を過ごされた
神宅旧跡に鎮座されます。
その宮居の跡地に神陵が築かれ、お祀りされたのが
最古の神社である伊弉諾神宮の創祀の起源だと
されています。
幕末までは禁足地の神陵の前方が本殿でした。
明治初年の官費による造営事業で神陵地を整備
墳丘上に本殿が遷られています。
境内に進ませていただくと参拝者が多いのに
⛩️を潜るまでに感じた喧騒が全くと言って良いほど
感じられませんでした。
グッと圧倒されるような空気を感じながら
境内をお詣りさせていただきました。
その先に鎮座されているのは伊弉諾神宮様です。
さすがは淡路国の一宮という感じて
一気に🚶と🚲と🚗が増えました。
無料🅿️があるのですが🈵️に近い状態でした。
何とか一台分空いていたので待つことなく
停めることが出来ました
御祭神は
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)
をお祀りされています。
わが国最古の歴史書「古事記」や国史「日本書紀」は
天地開闢の説話から始まります。「天地はじめて發ひらけしとき」に高天地に造化三神が
現われて続く神世七代で現れた伊弉諾尊と伊弉冉尊に「この漂へる国を修理固成」と
命ぜらました。
二柱神は天の浮柱に立ち天沼矛で大海原をかき回し
矛の先から滴り落ちた雫が「淤能碁呂島」となります。
↑
(絵島という説)
この島に降り立った二神は夫婦の契りを結び
国生みの儀式を行い最初に誕生したのが
淡路島(淡道之穂之狭別島)で 続いて四国 隠岐 九州
壱岐 対馬 佐渡 本州と生まれ「大八洲」と呼ばれる
古代日本の国土が出来上がりました。
その後、伊弉諾大神が御子神の天照皇大御神に
国家統治の権限を委ねて淡路の多賀の地に
「幽宮」(カクリヤ)を構えて余生を過ごされた
神宅旧跡に鎮座されます。
その宮居の跡地に神陵が築かれ、お祀りされたのが
最古の神社である伊弉諾神宮の創祀の起源だと
されています。
幕末までは禁足地の神陵の前方が本殿でした。
明治初年の官費による造営事業で神陵地を整備
墳丘上に本殿が遷られています。
境内に進ませていただくと参拝者が多いのに
⛩️を潜るまでに感じた喧騒が全くと言って良いほど
感じられませんでした。
グッと圧倒されるような空気を感じながら
境内をお詣りさせていただきました。
すてき
投稿者のプロフィール

れん太郎1370投稿
元々は休日に景勝地へドライブが趣味で、神社仏閣もお参りするのが好きでした。 年齢を重ねて夫婦で何か形のあるものを残したいと考えていたところ、細君より御朱印集めを提案され令和六年三月より始めました...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
















































