いわくすじんじゃ
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楽しみ方岩樟神社のお参りの記録一覧

何気に恵比寿神社様の境内を回り込むと
もう一つお社様が鎮座されていました。
岩屋城跡の崖下の洞窟に鎮座されている
岩樟神社様です。
御祭神は
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)
蛭子命(ヒルコノミコト)
をお祀りされています。
七福神の内 唯一日本の神様である蛭子命は
伊弉諾尊と伊弉冉尊の最初の子供として
生この地で誕したと伝わっています。
これが「西宮のエビスさん」の本家は岩屋であるという
説がある由縁でしょうか?







淡路島国生み神話を巡る旅、最後に立ち寄ったのは岩樟(いわくす)神社。伊弉諾、伊弉冊から生まれた最初の子、蛭子をお祀りした神社です。絵島の近く、恵比須神社の奥にある洞窟の入口に、ひっそりと佇む小さな神社です。
蛭子命は体が不完全だったため、葦の舟で流された神様。事代主や恵比寿神とも同一視されています。
地元では、この岩屋の洞窟を伊弉諾尊の隠れた「幽宮」と伝えられているそうです。
今や恵比須様として信仰される蛭子命ですが、元々は流された悲しい命。古来の信仰が残る淡路島に、ひっそりとお祀りされていて、胸を打たれるものがありました。


この洞窟は、以前は奥行き52mあったそうですが、今は奥行き3m。


岩樟神社
~ 伊弉諾尊 幽宮信仰とヒルコさま~
御祭神 伊弉諾尊
伊弉冉尊
蛭子神
例祭日 5月15日
淡路島の北端近く、岩屋港に恵比須神社(戎神社)が鎮座します。
岩屋地区(古くは石屋とも)の産土神として崇敬を集めており、江戸時代に恵比須講が盛んになって勧請されました。
こちらの恵比須神社の奥に、岩樟神社が鎮座されます。
岩樟神社は三対山の崖にできた岩窟で、
濱岡きみ子石屋神社宮司の報告(1984年)によりますと、奥行き6m、高さ1.8m、幅2mの空洞を内部に持つそうです。
かつてはもっと長大な洞窟だったそうですが、背後の山上に岩屋城を築くときにこの岩窟の一部を崩したという話も伝わります。
地元では、伊弉諾尊が最終的にお隠れになった幽宮(最終的鎮座地・墓所)がこの岩窟であると信仰されています。
淡路島の北端、恵比寿神社のすぐ後ろの洞窟にある神社。国産みの神「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」と伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に産まれた子「蛭子ヒルコ」さまを御祭神として祀られます。
蛭子神は一般的には商売の神「戎さん」で知られ、ここから西宮に流れ着いて西宮戎神社の御神体になったと伝わります。
入口の案内看板には「岩楠神社」と記されていますが、宮司さま曰く「楠」ではなく「樟」を使うのが正しいそうです。掲示板を訂正しなくてはね、と仰いました。
どちらもクスノキを表す漢字ですが、「楠」の「南」は南方原産の木を意味し 「樟」の「章」は高く伸びることを意味しています。
また、昔の絵図などによると、ここから前方にまだ洞窟が続いておりその先には 美しい砂浜が広がっていたそうです。
近年の開発で砂浜は消え、太古を物語るこの洞窟も削られ短くなってしまった様です。
「伊弉諾尊」がかくれられた「幽宮(かくりのみや)」であると伝わります。
当日(5月14日15日)は、石屋神社(淡路市岩屋地区)の春祭り御神事が催されていました。
御神事のみで、神輿が出ませんとお淋しそうでした。
波戸地蔵尊もとても趣がありました。
岩樟神社
絵島・大和島
石屋神社(いわや神社)
順に記録させて頂きます。
淡路市岩屋925−1






恵比須神社


岩屋地区の神社の例祭日でした


岩樟神社




波戸地蔵尊


御神木

絵島へ向かいます
(徒歩2分)



絵島



明石海峡大橋
憧れの淡路市岩屋地区より

淡路国の岩屋神社の近くにあり、イザナギ、イザナミさまの最初の子であるヒルコさまを祀ります。一度は二柱に捨てられてしまいますが、後世に恵比寿さんとなって人気を集めて返り咲くあたり、日本一出世した神様と言っても過言ではないと思います!!👏👏

《鳥居》

《由緒書き》
こちらにはヒルコ=事代主命さまと書かれていますが、一般的にこれは二柱共が恵比寿さんとして扱われていたためであり、実際には同一視はされてません。

《手水舎》
小さいですが、きちんと準備されています。

《拝殿》

《神木》

《末社群》

《洞窟》
元々はこの洞窟内で祭祀が行われていたとされ、古代の様式を遺す貴重なものです。

《手水舎?》

👁チェックポイント‼️
ヒルコさまはおのころ島で流されたあと、対岸の播磨に流れ着き、恵比寿さんとして祀られたのが西宮神社です。
ヒルコ系恵比寿の総本宮が西宮神社なので、その元宮とされているのが当社です。

《絵島》
この絵島は淡路島にいくつかあるおのころ島伝説の遺る場所です。
たしかにここであれば、流されたヒルコさまが播磨国にたどり着くのは理にかなってますね。
とはいえ、そう考えるとヒルコさま流されてから、本州できて人が栄えて祀りあげられるまで長いこと漂流してt(🤛

伊邪那岐と伊邪那美の国生み伝説において古事記では蛭子が先に生まれますが、日本書紀では淡路島が先に生まれ、その後蛭子が生まれます。
日本書紀では蛭子は三歳になっても立つ事が出来ず、やむを得ず天磐櫲樟船に乗せ海に流したとされます。
社名は、この天磐櫲樟船からきていると思われます。
また、蛭子と同じく淡路島も満足に生むことが出来なかったため「吾恥」が転じて「あわじ」となったとされます。
流された蛭子は西宮に流れ着き、西宮えびすのご神体になったという伝説があります。



岩楠恵比寿神社


波戸地蔵尊

岩樟神社

淡路島の神社に多く奉納されている「都美人」のベンチ
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