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北海道護國神社ではいただけません
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北海道護國神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2022年01月16日(日)
参拝:2022年1月吉日
久しぶりに、旭川市の北海道護国神社にお詣りしました☺️
この神社は、明治戊辰の役から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る北海道、樺太関係の国事殉難者を祀る神社です。
僕がお詣りする前日に「古神札焼納祭」(どんど焼き)がありました。境内に入る時には、第一鳥居前に設置された焼納品の預かり所で作業する男性の姿が。
境内は約2万坪(4万畳)もあり、いつもゆったりした気持ちで参拝できます😉
1月も中旬に入りましたが、休日のため、参拝に訪れる方がかなりいらっしゃいました。
授与所で御朱印を頂いた後、「今年初めてのお詣りだし、おみくじを引こうかな…❓🤔」と思い、授与所に引き返しました。
おそるおそる、おみくじを引いてみると「大吉」でした🍀😊🍀
ちょっと遅いお詣りになったものの、護国神社の神様に温かく受け入れていただけた気持ちになりました✨
この神社は、明治戊辰の役から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る北海道、樺太関係の国事殉難者を祀る神社です。
僕がお詣りする前日に「古神札焼納祭」(どんど焼き)がありました。境内に入る時には、第一鳥居前に設置された焼納品の預かり所で作業する男性の姿が。
境内は約2万坪(4万畳)もあり、いつもゆったりした気持ちで参拝できます😉
1月も中旬に入りましたが、休日のため、参拝に訪れる方がかなりいらっしゃいました。
授与所で御朱印を頂いた後、「今年初めてのお詣りだし、おみくじを引こうかな…❓🤔」と思い、授与所に引き返しました。
おそるおそる、おみくじを引いてみると「大吉」でした🍀😊🍀
ちょっと遅いお詣りになったものの、護国神社の神様に温かく受け入れていただけた気持ちになりました✨
第一鳥居です。
「どんど焼き」の焼納品の預かり所が設置され、焼納品の搬出作業に従事する方がいらっしゃいました。
「どんど焼き」の焼納品の預かり所が設置され、焼納品の搬出作業に従事する方がいらっしゃいました。
第一鳥居をくぐり、第二鳥居までの参道です。途中で橋があります。御本殿までかなりありますので、僕は気持ちを整えるためゆっくり歩いています😉
橋が見えてきましたね😉
この川は、社務所兼授与所の脇を流れています。鯉が悠々と泳いでおり、噴水⛲️もあって、新緑から紅葉の季節までは樹々の美しさと相まって心を和ませてくれます☺️
反対の「樺太・北海道池」側です。
橋の烏帽子(えぼし)を入れて、社務所側を撮りました☺️
境内には「樺太・北海道池」という大きな池があります。上から見下ろすと、樺太・北海道の形をしているそうです。
この池には、数十匹の鯉が自由に泳ぎ、季節には蓮の花が美しく咲き乱れます。
僕も雪が積もる前にお詣りに来た時は、必ずこの池を眺めたり写真を撮っていました😉
今回は雪が深そうでしたので、立ち寄ることを断念しました😅
この池には、数十匹の鯉が自由に泳ぎ、季節には蓮の花が美しく咲き乱れます。
僕も雪が積もる前にお詣りに来た時は、必ずこの池を眺めたり写真を撮っていました😉
今回は雪が深そうでしたので、立ち寄ることを断念しました😅
樺太国境標石です。
かつて南樺太が日本領であった時代に、日本とロシアの国境(北緯50度)に4か所あった国境標石のうち、東端にあった標石(レプリカ)だそうです。
かつて南樺太が日本領であった時代に、日本とロシアの国境(北緯50度)に4か所あった国境標石のうち、東端にあった標石(レプリカ)だそうです。
社務所兼授与所(授与所)です。
社務所兼授与所(社務所側)です。
第二鳥居です。
神門が見えてきました😉
神門の先には御本殿です。
神門の先には御本殿です。
神門の左手には「絵馬納め所」の看板と共に、たくさんの絵馬が奉納されていました。
御本殿に向かって左にそびえるニレの大木は、樹齢400年を越えるそうです!
樹齢400年を超えるニレの木です。近くで見るとその大きさに驚きます☺️
6万3千有余柱の御霊をお祀りし、典雅な総流れ造りに統一された北海道護國神社御本殿です。
朱色の柱などが印象的な御本殿ですね☺️
朱色の柱などが印象的な御本殿ですね☺️
狛犬様
狛犬様
神門から御本殿までの間には、積雪のため参道を示すカラーコーン(パイロン)が設置されていました。
東京裁判(極東国際軍事裁判)で「A級戦犯」全員無罪の判決を出したインド代表判事、パール判事の講演録の一部が掲示されています。
どんど焼きの案内です。
昭和天皇の御製碑です。碑文には
「ふる雪に こころきよめて安らけき 世をこそいのれ 神のひろまえ」と刻まれているそうです。
「ふる雪に こころきよめて安らけき 世をこそいのれ 神のひろまえ」と刻まれているそうです。
慰霊碑群に向かう参道です。突き当たりの手前・右側に「平成館」があります。
歩兵第八九聯隊合同慰霊碑
歩兵第八九聯隊は旭川で編制され、昭和20(1945)年3月に始まる沖縄戦において日本軍の主力歩兵部隊として善戦しますが、徐々に劣勢となり、ついに同年6月17日に新垣の司令部壕にて金山均連隊長以下将兵2680余名が玉砕されました。
この慰霊碑は、歩兵第八九聯隊の御英霊を顕彰し、偉勲を長く後世に伝えるために建立されました。
歩兵第八九聯隊は旭川で編制され、昭和20(1945)年3月に始まる沖縄戦において日本軍の主力歩兵部隊として善戦しますが、徐々に劣勢となり、ついに同年6月17日に新垣の司令部壕にて金山均連隊長以下将兵2680余名が玉砕されました。
この慰霊碑は、歩兵第八九聯隊の御英霊を顕彰し、偉勲を長く後世に伝えるために建立されました。
一木支隊鎮魂碑
太平洋戦争初期のアメリカ軍の前線基地ミッドウェイ島攻略のために旭川で編成され、聯隊長「一木清直」大佐の名を冠して一木支隊と称されました。
ガダルカナル島で玉砕された聯隊長一木清直大佐以下2300余名の御英霊を顕彰し、偉勲を長く後世に伝えるために建立されました。
太平洋戦争初期のアメリカ軍の前線基地ミッドウェイ島攻略のために旭川で編成され、聯隊長「一木清直」大佐の名を冠して一木支隊と称されました。
ガダルカナル島で玉砕された聯隊長一木清直大佐以下2300余名の御英霊を顕彰し、偉勲を長く後世に伝えるために建立されました。
「平成館」(旧陸軍第七師団北鎮兵事記念館)です。
昭和10年に帝冠様式で建てられた道内でも唯一歴史的・文化的な建造物です。
平成3年に改修工事を行い、現在主に慰霊大祭の直会会場等で使用されています。
昭和10年に帝冠様式で建てられた道内でも唯一歴史的・文化的な建造物です。
平成3年に改修工事を行い、現在主に慰霊大祭の直会会場等で使用されています。
すてき
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まさゆき158投稿
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