はこだてはちまんぐう
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楽しみ方函館八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月21日(火) 07時19分53秒
参拝:2026年3月吉日
北海道 函館市 谷地頭町 2 に境内を構える、函館八幡宮、初参拝致しました、当方は 道の駅 全国制覇者で 全国の寺社 霊場を参拝してます、神社対応は 慣れていて 丁寧な神社様でした。どの様な神社か引用を用いてしらべて見ました、主祭神は 品陀和気命(応神天皇、八幡神)相殿は 住吉大神、金刀比羅大神、社格等は 旧国幣中社、別表神社、創建年は(伝)文安2年(1445年)本殿の様式は 聖帝造銅板葺、例祭日は 8月15日、主な神事は 神輿渡御祭(隔年8月15日)
社伝では、文安2年(1445年)、亀田郡の領主であった河野政通が函館・元町に城を築く際、城の鎮守として 城域東南隅に八幡神を勧請したのに始まると伝えられる。永正9年(1512年)、河野氏は蝦夷に攻められて城を追われ、一族は八幡神を奉じて亀田郡赤川村(現 函館市赤川町)に逃れた。慶安2年(1649年)、河野氏一族の巫女伊知女(伊知子とも)が霊告を受けて元町の河野館跡地に八幡宮を遷した。寛政11年(1799年)東蝦夷を公議御料(幕府直轄領)とした江戸幕府が社地に箱館奉行所を置くことになったため、文化元年(1804年)、幕府の費用で会所町(現 函館市 元町 北東部)に社殿を造営して遷座、以後 箱館奉行所は 当宮を 祈願所とし、蝦夷地総社として崇敬した。また、広く蝦夷地開拓に神験ありと信仰されたといい、近世末までに石狩八幡神社(石狩市)や室蘭八幡宮(室蘭市)、住吉神社(小樽市)等が当宮より勧請されて創祀されている。
明治に入り、会所町に庁舎を置いた開拓使は明治4年(1871年)に当宮を崇敬社と定め、同10年5月28日、国幣小社に列格、翌11年、類焼により社殿を焼失したので、官費を以て現在地に社殿を造営し、同13年に遷座した。明治29年(1896年)10月19日に国幣中社に昇格した。 1936年(昭和11年)、函館市に行幸した昭和天皇が行幸、拝礼した、戦後は神社本庁に参加し、昭和23年(1948年)にその別表神社となっている
社伝では、文安2年(1445年)、亀田郡の領主であった河野政通が函館・元町に城を築く際、城の鎮守として 城域東南隅に八幡神を勧請したのに始まると伝えられる。永正9年(1512年)、河野氏は蝦夷に攻められて城を追われ、一族は八幡神を奉じて亀田郡赤川村(現 函館市赤川町)に逃れた。慶安2年(1649年)、河野氏一族の巫女伊知女(伊知子とも)が霊告を受けて元町の河野館跡地に八幡宮を遷した。寛政11年(1799年)東蝦夷を公議御料(幕府直轄領)とした江戸幕府が社地に箱館奉行所を置くことになったため、文化元年(1804年)、幕府の費用で会所町(現 函館市 元町 北東部)に社殿を造営して遷座、以後 箱館奉行所は 当宮を 祈願所とし、蝦夷地総社として崇敬した。また、広く蝦夷地開拓に神験ありと信仰されたといい、近世末までに石狩八幡神社(石狩市)や室蘭八幡宮(室蘭市)、住吉神社(小樽市)等が当宮より勧請されて創祀されている。
明治に入り、会所町に庁舎を置いた開拓使は明治4年(1871年)に当宮を崇敬社と定め、同10年5月28日、国幣小社に列格、翌11年、類焼により社殿を焼失したので、官費を以て現在地に社殿を造営し、同13年に遷座した。明治29年(1896年)10月19日に国幣中社に昇格した。 1936年(昭和11年)、函館市に行幸した昭和天皇が行幸、拝礼した、戦後は神社本庁に参加し、昭和23年(1948年)にその別表神社となっている

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すてき
投稿者のプロフィール

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宮城県 石巻市に在住、元々出張で日本各地を訪れる機会が在り思い出作りに道の駅スタンプラリーにも参加、気がつけば全国制覇者2022年第184号、今は休日 旅行で全国各地の食べ物、景色、温泉を探索、...もっと読む
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