すっつじんじゃ
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前回は洞爺湖町にある虻田神社に行ってお参りをしました
そんな虻田神社をあとにしたのは午前10時頃・・・ さて、次はどこに行くか
と、頭に思い浮かんだのはしばらく行ってなかった温泉です
ならばと、その温泉を目指しながら移動をしました
虻田神社から車で移動をすること約65キロ、次に行き着いたのは自身お初の寿都神社でした
鳥居を抜けて本殿を目指して歩いて行くと色鮮やかな姿が視界に入りました
お参りを済ませてから社務所に行って御朱印を拝受しに行ったのですが、
社務所の方(神主さま?)が親切丁寧に神社の説明をして下さいました
そんな説明を受けてしまったら、今度は来年の春に行きたくなっちゃいますね
ピンクの拝殿で有名な寿都神社様へ
写真では逆光でピンクが綺麗に出てないのですが実際は綺麗なピンクです🍑
境内はとても静かでした😁夕方行くと夕陽にピンクが映えるかもしれませんね❗
鳥居からの拝殿
拝殿
逆光なのでピンクが綺麗に出てない😅
御由緒
手水舎
花手水
こういう所に気遣いがありますね
歴史
寛永4年4月、北海道に向かう筑紫国の弁天丸という船が折からの暴風により遭難し漂流の後、寿都湾で座礁大破した際、幸いにも乗組員は神の御加護と地元住民の御陰で無事救助されたことに感謝し、船中に祀っていた弁天神を岩崎村の祠に奉祀、神鏡を納めて海上安全の主神として奉斎したことに始まる。後にこの近辺が松前藩士鈴木喜三郎の知行する漁場となってからも漁民たちから篤い信仰を受け、協議の結果、社を新たに建立した。明治5年8月厳島神社と改称し郷社に列せられる。同13年11月12日、現在地に遷座。同32年10月23日、本殿ならびに幣殿を新築、同年に強風の為に境内の稲荷神社が損壊したので、本社に合祀を出願し、翌33年3月28日に許可が下る。同34年12月、神楽殿並びに社務所を増築、大正6年には本殿と社務所を改修した。同14年9月30日、村社稲荷神社を合祀、11月には寿都神社と改称する。昭和5年7月には境内地を増やして整備し、寿都敬神会の寄付により神楽殿を再建した。昭和52年11月、国道229号線道路改修の為、現在地に移転と成り、御社殿、神楽殿、神輿殿、社務所等境内建造物を改築する。同年11月三町稲荷神社を境内社と遷座して現在に至る。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
稲荷神社 豊宇気比売命 大正14年9月30日合祀・稲荷神社 倉稲魂命 明治33年3月28日合祀
名称 | 寿都神社 |
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読み方 | すっつじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0136-62-2231 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 《主》市杵島比売命,倉稲魂命,豊受姫命 |
---|---|
本殿 | 流造 |
ご由緒 | 寛永4年4月、北海道に向かう筑紫国の弁天丸という船が折からの暴風により遭難し漂流の後、寿都湾で座礁大破した際、幸いにも乗組員は神の御加護と地元住民の御陰で無事救助されたことに感謝し、船中に祀っていた弁天神を岩崎村の祠に奉祀、神鏡を納めて海上安全の主神として奉斎したことに始まる。後にこの近辺が松前藩士鈴木喜三郎の知行する漁場となってからも漁民たちから篤い信仰を受け、協議の結果、社を新たに建立した。明治5年8月厳島神社と改称し郷社に列せられる。同13年11月12日、現在地に遷座。同32年10月23日、本殿ならびに幣殿を新築、同年に強風の為に境内の稲荷神社が損壊したので、本社に合祀を出願し、翌33年3月28日に許可が下る。同34年12月、神楽殿並びに社務所を増築、大正6年には本殿と社務所を改修した。同14年9月30日、村社稲荷神社を合祀、11月には寿都神社と改称する。昭和5年7月には境内地を増やして整備し、寿都敬神会の寄付により神楽殿を再建した。昭和52年11月、国道229号線道路改修の為、現在地に移転と成り、御社殿、神楽殿、神輿殿、社務所等境内建造物を改築する。同年11月三町稲荷神社を境内社と遷座して現在に至る。
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