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琴似神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 豊受大神(とようけのおおかみ) 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 武早智雄神(たけはやちおのかみ) 土津霊神(はにつれいしん) | |
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ご由緒 | 明治8年北海道開拓使最初の屯田兵として琴似に入植した240戸の人々は旧亘理藩(宮城県)藩祖伊達藤五郎成実公の遺徳を敬慕して武早智雄神と尊称し、御神徳を北海道開拓の上に顕彰するため武早神社と号し創建した。明治30年その鎮座地を山の手5条1丁目に移し、神祠を移築して本殿とし、更に幣殿、拝殿を造築した。明治44年に大国主大神を御増祀。大正4年、現在の御鎮座地に遷座し、郷社と認定される。紀元二千六百年を記念した境内の大改修と共に昭和42年、諸施設整い、伊勢神宮の特旨を仰いで同年10月28日特別神璽を拝受、両宮の神々を御増祀、更に平成6年旧会津藩(福島県)藩祖保科正之公、土津霊神を御増祀、大先祖の神々の民族生成発展の御理想を欣仰いたしている。
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歴史 | 由緒[編集] 琴似に屯田兵が入植したとき、同時に祀られた神社である。一部の兵士の出身地であった仙台藩亘理伊達氏の祖伊達成実を武早智雄神として祭神とした。はじめは武早神社といって、日登寺の境内に祠を造って祀っていた。その後、斎藤繁三郎氏から寄進された水上通り(琴似中学校の西側)に置かれた。この時、北海道有珠郡に入植していた第十四代亘理領主伊達邦成から、陣羽織と直筆の掛け軸等を奉納された。琴似村の住民を氏子にして、明治時代には出店、芝居、蓄音機が出る年一度の祭りが村人総出の楽しみであったという[1]。 1870年(明治3年) - 有珠に入植していた第十四代亘理領主伊達邦成の刀や陣羽織、直筆...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「琴似神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%90%B4%E4%BC%BC%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102284867 |
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