つるはねじんじゃ
鶴羽根神社のお参りの記録一覧
広島県 白島(広電)駅
つるはねじんじゃ
広島県 白島(広電)駅
鶴羽根神社(広島市東区)
広島東部の総氏神とのこと。
広島駅少し北の徒歩圏内、寺社が多い場所。
参拝者もちらほらといらっしゃいます。
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広島二葉山山麓七福神めぐり/弁財天
《饒津神社(恵比須天)/明星院(毘沙門天)/鶴羽根神社(弁財天)/広島東照宮(福禄寿)/尾長天満宮(寿老人)/國前寺(大黒天)/聖光寺(布袋尊)》
拝殿
入り口
入り口 鳥居
案内看板
手水舎
七福神めぐりの弁財天
手水舎の側にいらっしゃいます
参道
拝殿
鯉のぼりが季節を感じさせてくれます
御朱印帳と御朱印
御朱印(置500、置300(七福神))
広島③何やら拝殿の中から声がして巫女さんが舞を踊っていました。拝殿の前には人が溜まり参拝するのに苦労しましたが、どうやら秋の例大祭だったようです。気づいた後は邪魔をしないように。こちらは神前結婚式に力を入れていて、隣接した健康式場もあります。そのためか境内は綺麗に整備され庭園のようです。こちらには被爆樹木や建造物が多く残りますが、気づかないまま参拝を終える方もいるかもしれません。当時の写真を見るとここまで復興したのがうそのようです。
社務所で鶴みくじと書置きの御朱印を戴きました。
注連柱
由緒書
一の鳥居(被爆建造物)
社号標
神橋(石の太鼓橋)被爆建造物
灯籠(被爆建造物)
被爆建造物
手水舎(被爆建造物)
手水盤
弁財天
狛犬(被爆建造物)
被爆建造物
二の鳥居
境内社
境内社 椎木稲荷神社鳥居
扁額 「八十吉大明神」「椎木稲荷大明神」「地主大明神」とあります
八十吉大明神とは保田八十吉、広島銀行頭取を務めた実業家だろうか?
境内社 椎木稲荷神社 境内社の朝櫻神社と地主大神を併せ祀る
拝殿 丁度祭礼でした
境内社 詳細不明
鶴のおみくじを戴きました
広島市東区二葉の里に鎮座する鶴羽根神社。
源三位源頼政の側室である菖蒲御前(あやめごぜん)が、平家の追討を受け安芸の国西条(現・広島県東部)に落ち延のび、その没後、御遺言により元久年間(1204~1206年)に社殿を建立し、御祭神を観請したことが始まりと伝えられています。 主祭神は八幡神三柱、品陀和気命(応神天皇)・息長帯日売命(神功皇后)・帯中津日子命(仲哀天皇)です。 もともとは、修理地として寄進された椎木山(現・二葉山)にちなみ「椎木八幡宮」と称されていましたが、明治元年(1868年)、広島藩最後(第12代)の藩主・浅野長勲(あさのながこと)の撰名により、神社背後にある二葉山が、鶴の羽根を広げた姿に似ている事から、社名を「鶴羽根八幡宮」と改め、さらに5年後に現在の「鶴羽根神社」に改称したそうです。 社殿は昭和20年(1945年)の原爆投下により倒壊しましたが、その後再建しています。 800年の歴史を誇る広島東部の総氏神様です。
今回、仕事で広島出張の際にスキマ時間を利用してお詣りいたしました。 当方、子供の頃(小・中学生時代)にこの辺りに住んでいたことがあり、訪れるのは〇十数年ぶりです。 街並みはすっかり様変わりしてしまっていますが、当時を懐かしみお詣りさせていただきました。
鶴羽根神社・注連縄
鶴羽根神社・神社名碑と一の鳥居
原爆投下後も一の鳥居と石ノ太鼓橋、手水舎などは当時の姿のまま残っています。
鶴羽根神社・石ノ太鼓橋と二の鳥居
鶴羽根神社・手水舎
被爆建物として残されています。
鶴羽根神社・境内社/椎木稲荷神社
鶴羽根神社・拝殿
鶴羽根神社・山縣豊太郎像
大正8年(1919年)に愛機鶴羽根号を操縦して、民間人として日本初の宙返り飛行を成功させ、翌9年には日本初の東京・大阪間の往復無着陸飛行大会に優勝するなど日本民間航空界の草分けで、鶴羽根神社は山縣家の氏神との縁故から境内に石像が建てられています。
御朱印
御神籤・鶴
今日は、朝から涼しく(たぶん台風の影響かな?)、過ごしやすかかったです。
で、まず散髪に行って、さっぱりした状態で、まずは鶴羽根神社に行ってみました。
近くのコインパーキングに車を停めて歩いて3つの神社などに参ってきました。
はい。これが鶴羽根神社での鳥居です。
うんうん、素敵ですね。
七五三の準備をされていました。
大明神様を祭っています。(間違ってたらごめんなさい)
しかし、緑と相まっていい感じです。
僕は、この言葉をよく使います。(佇まいがいいですね)
鶴羽根神社、本殿です。
いやいや素敵です。
なんだか歴史を感じます。
うんうん。今日も出足好調。
鶴羽根神社の御朱印です。コロナ禍のため、書置きでしたが、巫女さんに日付を書いていただきました。
いやぁ、一つ一つが素晴らしいの一言です。
どこの御朱印も素敵ですね、しかし、絶対に同じものはない。
これが御朱印集めの醍醐味ですね。
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