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饒津神社ではいただけません
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にぎつじんじゃ

饒津神社
広島県 白島(広電)駅

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こうきりん
こうきりん
2023年06月11日(日)
293投稿

鶴羽根神社から200mのところに饒津神社が鎮座されているとのことでしたので,ちょっと走ってお参りしてみます🏃おっと,道路沿いに鎮座されており,とても広い参道ですね😃とても大きく立派な神社です⛩️御祭神は…と…芸州藩の浅野公ですか😆これまた信長の野望でお世話になった方々が神様になっておられますね😊それに昭和まで生きた最後の殿様浅野長勲公も祀られているんですね😲写真も残っていて実際に国政に関与なさった方が神様になっておられるので凄いですよね🙏とても広くて静かで居心地のよい神社⛩️でした😃今度は直書きの御朱印を授与いただきたいと思います☺️

饒津神社の建物その他

鶴羽根神社からすぐです。

饒津神社の歴史
饒津神社の建物その他
饒津神社の建物その他

社号碑です。

饒津神社の建物その他

被爆松の切り株です🌲

饒津神社の歴史

被爆松の説明書きです。

饒津神社の鳥居

一ノ鳥居です⛩️でっかいです⛩️

饒津神社の手水

手水舎です。現在は使えないようです。

饒津神社の歴史

原爆投下後の饒津神社の様子です。

饒津神社の末社

七福神めぐりの恵比須天さまです🙏

饒津神社の山門

随神門です。

饒津神社の建物その他

随神門にクイズがありました😃

饒津神社の本殿

拝殿が見えます。確かに斜めに鎮座されています。

饒津神社の御朱印

境内に社務所がありました。本日は宮司さま不在のため,書き置きの御朱印を授与いただきました。

饒津神社の御朱印

七福神めぐりの御朱印が並んでいます。いつか残りの五つも授与いただきたいです。

饒津神社の本殿

拝殿です。

饒津神社の建物その他

おやクイズの答えです。なるほどね🧐

饒津神社の本殿

拝殿の扁額です。

饒津神社の建物その他

饒津神社に祀られている浅野長勲命の碑です。昭和まで生きた最後の殿様ですね😲

饒津神社の建物その他

96歳まで…大往生ですな🙏

饒津神社の本殿

本殿です。参拝客は近寄ることができません。

饒津神社の末社

境内社です🦊

饒津神社の末社

🦊

饒津神社の本殿

稲荷神社側から本殿を📸

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歴史

宝永3年(1706)綱長公(浅野家第6代・芸州浅野家藩主第4代)の時に、広島城の艮(うしとら/東北鬼門)の方位に当る明星院客殿西方に長政公の位牌堂を建立。
さらに長政公200回御忌に当る文化7年(1810)に斎賢(なりかた)公(浅野家第10代)、前藩主重晟(しげあきら)公(浅野家9代)と共に新たに壮麗な位牌堂を建立した。この位牌堂は饒津神社の先駆的なものであり、この時奉納された文化年間の燈篭や大石水盤等は後に饒津神社創立と共に境内に移されて現存している。 長政公を神として奉祀することは重晟公以来内慮があり 天保6年(1835)11月斎粛(なりたか)公(浅野家11代)が祖先追孝のため社殿を現在地(明星院西方)に造営、二葉山御社と称した。
二葉山の名は饒津神社創祀の際に金葉集・摂政左大臣藤原忠通卿の歌「いかばかり 神もうれしと 三笠山 二葉の松の 千代のけしきを」 新続古今集・後徳大寺左大臣の歌「住吉の 松は昔の 二葉より 久しき事の ためしにぞひく」より藩執政関蔵人らによって命名されたものである。これより明星院山であった背後の山は二葉山と呼ばれるようになった。
御神号は京都・吉田良長に草案を依頼し、「蒼垣・饒津・功健・瑞国・振玉」の五通りが示され、長懋(ながとし)公(斎粛公の叔父)の御選択により「饒津大明神」と定められた。

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饒津神社の基本情報

住所広島県広島市東区二葉の里2-6-34
行き方

広島駅新幹線口(北口)から西へ 徒歩15分

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名称饒津神社
読み方にぎつじんじゃ
通称にぎつさん
参拝時間

祈願受付:9:00~15:00

トイレ有り
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号082-261-4616
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.nigitsu.jp/
お守りあり

巡礼の詳細情報

広島二葉山山麓七福神

第1番

御本尊:恵比須天

詳細情報

ご祭神《主》浅野長政,浅野末津姫,浅野幸長,浅野長晟,浅野長勲
本殿三間社入母屋造
ご由緒

宝永3年(1706)綱長公(浅野家第6代・芸州浅野家藩主第4代)の時に、広島城の艮(うしとら/東北鬼門)の方位に当る明星院客殿西方に長政公の位牌堂を建立。
さらに長政公200回御忌に当る文化7年(1810)に斎賢(なりかた)公(浅野家第10代)、前藩主重晟(しげあきら)公(浅野家9代)と共に新たに壮麗な位牌堂を建立した。この位牌堂は饒津神社の先駆的なものであり、この時奉納された文化年間の燈篭や大石水盤等は後に饒津神社創立と共に境内に移されて現存している。 長政公を神として奉祀することは重晟公以来内慮があり 天保6年(1835)11月斎粛(なりたか)公(浅野家11代)が祖先追孝のため社殿を現在地(明星院西方)に造営、二葉山御社と称した。
二葉山の名は饒津神社創祀の際に金葉集・摂政左大臣藤原忠通卿の歌「いかばかり 神もうれしと 三笠山 二葉の松の 千代のけしきを」 新続古今集・後徳大寺左大臣の歌「住吉の 松は昔の 二葉より 久しき事の ためしにぞひく」より藩執政関蔵人らによって命名されたものである。これより明星院山であった背後の山は二葉山と呼ばれるようになった。
御神号は京都・吉田良長に草案を依頼し、「蒼垣・饒津・功健・瑞国・振玉」の五通りが示され、長懋(ながとし)公(斎粛公の叔父)の御選択により「饒津大明神」と定められた。

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