当社の創建は「不詳」となっておりますが、上古の時代(600~700年代)に創建したと伝えられております。
当初は嵩山(たけやま)付近に鎮座しておりましたが、室町時代、和利宮城主塩谷氏によって、中之条町伊勢町の伊勢宮(いせぐう)裏の御手洗山(みたらしやま)に遷座しました。
その後、弘治2年(1556年)に現在地(中之条町横尾)に遷座しましたが、文化9年(1812年)4月13日の火災により社殿や古文書が焼失してしまいました。
現在の社殿は文政4年(1821年)4月1日に再建されたものとなります。
当社は古くより吾妻郡内外から広く崇敬を集めており、慶応元年(1865年)に建てられた正面鳥居前の御神灯は地元や近郷の人々だけでなく、県内各所から篤志寄進いただきました。
また、明治以前は「和利宮(わりのみや)」として親しまれておりましたが、明治の二度に渡る神社合併により、周辺の151社54柱の神々が合祀され、社名を「吾妻神社(あがつまじんじゃ)」へと変更し今日に至ります。
昭和3年(1928年)には「郷社」に指定されるなど、その名の通り『吾妻の総鎮守』として現在でも県内外から広く崇敬を集めております。
主祭神である大穴牟遲神(おおなむちのかみ)は大国主(おおくにぬし)とも呼ばれ、中古以前の当社では『和利大明神(わりだいみょうじん)』として慕われておりました。
和利大明神とは『神道集』巻六の三十四「児持山大明神の事」に登場する神様です。
渋川市の子持山南麓に鎮座致します子持神社(こもちじんじゃ)に祀られた、妻の『子持御前(こもちごぜん)』との史話は「和利宮縁起」として吾妻郡内に伝えられております。
『縁結び』 『家内安全』 『病気平癒』 の神様です。
17
0