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大谷翔平とは全く関係ないが、現在、便乗して大谷翔平の印入り御朱印を出してるらしい

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大谷神社について

関東管領 上杉憲政の家臣で、後に足利長尾氏の家臣となった農政家 大谷休泊所縁の神社。
大谷休泊は、それまで荒れ地だったこの辺りを開墾した「戦国の世に戦わずにして英雄になった男」

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名称

大谷神社

読み方

おおやじんじゃ

御朱印あり

大谷翔平とは全く関係ないが、現在、便乗して大谷翔平の印入り御朱印を出してるらしい

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》大山祇命
《合》建御名方命・豊受姫命・倉稲魂命・速玉之男命・菅原道真・大谷休泊
《摂末社》大黒天・祭神不明二社
創建時代

永禄二年(1559年)九月

創始者

大谷休泊

ご由緒

永禄二年(1559)九月に大谷休泊が山林の守護神として大山祇命を祀る祠を建てたのが創まりで、大山祇神社として長く信仰されて来た。
明治五年(1872)に村社に列格、四十一年(1908)に大谷神社に改称。
四十二年に社殿の建立と五社を合祀遷宮。
昭和六十一年(1986)に大谷休泊も御祭神の一柱として合祀。

【大谷休泊】
山内上杉家の家臣で、平井城の上杉憲政に仕え、新田郡・山田郡・邑楽郡で改革事業に取り組んだ。武士というより農政家だったとされる。
天文20年(1551年)、主君・憲政の居城の平井城が北条氏康により落城したが後北条氏の軍役を担うことはなく、山田郡成島村(現・館林市)に住み開拓を進めた。
渡良瀬川・多々良沼から農業用水を引き、これは後に「休泊掘(きゅうはくぼり)」と呼ばれ農業生産力の向上に貢献した。また永禄元年(1558年)成島村西南の館野ヶ原という原野の開拓に取り組んだ。さらに太田金山の松苗を移植し防風林を作ることを試み、21年間に150万本の松を植栽し後の「大谷原山林」を造成した。
植林事業は初年に大半が枯死するなど困難を極めたため、休泊は永禄2年(1559年)9月に山の神を祭祀して山神社を建立した。山神社は後に村社に列せられ大谷神社と改称されて館林市成島町に現存する。
現在、大谷神社の北西約1kmにある多々良沼公園のある細長い緑地が「大谷原山林」であり、また太田市龍舞町の小字「休泊」も大谷休泊に由来する。

ご利益五穀豊穣
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