ほうりんじ|黄檗宗|眞福山
宝林寺公式群馬県 東小泉駅
9:00-17:00
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楽しみ方
この日は車だったので少し遠くを回ろうと思い、この前、自転車で東側3分の1くらいまでを制覇した千代田町の残りの部分を、この際一気に探索してしまうことにしました😤
千代田町の西端から攻めていこうと思い、まずはこの辺りでは大変珍しい黄檗宗の宝林寺へ移動🚙
途中の太田市と大泉町でもいくつか呼ばれた所があったのですが、そこらはまだほとんど下調べしておらず、あまり探索範囲を広げ過ぎると収拾もつかなくなるので今回泣く泣く全スルー😭
ここは過去に参拝済みで受印もしてますが、千代田町では光恩寺と並ぶ二大重要寺院なので、以前より知識が深くなった今、もう一度拝んでみようかと🙏w
ここは御住職が歴史好きなのか、ホトカミの基本情報を見てもわかるように、お寺公式発信の情報ですら非常に詳細🌟
公式HPには、他の寺社のHPではまず載っていないであろう前身寺や末寺の情報まで詳しく記載されており、佐野・足利辺りの由緒不明寺院を調べるのに大変参考になりました😆 ホントありがたい限り🙇
お寺の公式HPを見ても墓地分譲とか祈祷料のことしか書かれておらず、由緒どころか山号・院号・本尊すら載ってないような葬式仏教寺とは大違いだぜ!😁👍www
お寺入口と寺号標は、前が交通量の多い道路に面してて危険なので駐車場側から撮影📷️
これは実際に最後に撮ったのですが、お寺を去る時に門前右側の隣家との境に古いお堂を見つけ、慌てて戻って調査🔍️💦

宝林寺の縁起については、再三の火災により、詳細は現在に伝えられていないところもありますが、開山が大拙祖能禅師であり、数多くの弟子を輩出し、また、中興開山潮音道海禅師の時代には、伽藍が建立されていたとする記録もあり、潮音道海禅師を慕い、数多くの僧侶がこの地に訪れたといいます。現在では、本堂と鐘楼堂を伝えるのみとなっていますが、その当時の隆盛は想像に難くないものと考えられます。
中興開基である須田覚心居士が、「師(潮音道海禅師)が慕われている中国天目山の中峰国師の法孫で、大拙祖能禅師が建立した寺が上州にありますが、大変荒れたままで檀信徒は再建を望んでいます」と潮音道海禅師に云い、この話を聞いた潮音道海禅師は、もとより中峰国師の禅風を最も慕っていたため、その再建に頗る意欲を見せました。そこで、須田覚心居士は、武州四方寺村(埼玉県熊谷市)の邑長吉田六左衛門宗信(大機居士)、その弟吉田四郎兵衛、栗原助左衛門、森田権右衛門等と諮って、潮音道海禅師を上州眞福山宝林寺に迎えることになったのでした。寛文7年(1667年)2月15日、潮音道海禅師は上州新福寺村(群馬県邑楽郡千代田町)の眞福山宝林寺に進山されました。その住山の偈に
瓶錫相携入寳林|瓶錫 相携えて寳林に入れば
門庭寂寞緑苔深|門庭 寂寞として緑苔深く
国師面目依然在|国師の面目依然として在り
明月一天耀古今|明月一天 古今に耀く
と詠まれました。
潮音道海禅師の寳林寺復興に対する意欲は燃え住民を集めて「当塗王経(観音経)」の講義をはじめました。それは、豊かな学識と薀蓄のある見事な講義で、住民にとっては長い旱魃のあとの慈雨のごとく、人々の心は揺り動かされましたから、忽ち領内の大評判になりました。
この評判が館林城に伝わり、ときの城代家老金田遠江守正勝(梅山居士)と家老の本多甚左衛門(古巌居士)が「近頃江戸で評判の潮音道海禅師が領内にいるなら、城内にお招きして法話を聞きたい」と直ぐに迎えを出しました。そして、館林城での法苑は20日あまりに及び、城代家老金田遠江守正勝をはじめ数多くの家中が帰依しました。その評判もまたたくまに関東一円にひろまり、老若男女問わず、法苑が開かれるとそれを聞くために数千人とも知れず、ときには一郡が傾いてしまうといわれるほどの人が集まりました。












| 住所 | 群馬県邑楽郡千代田町新福寺705 |
|---|---|
| 行き方 | 東北自動車道:館林インターより約30分
東武伊勢崎線:川俣駅よりタクシーで約20分
|
| 名称 | 宝林寺 |
|---|---|
| 読み方 | ほうりんじ |
| 参拝時間 | 9:00-17:00 |
| 参拝にかかる時間 | 約5分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり 御朱印をご希望の方は予めLINE、メール等にてご連絡ください。せっかくお参りいただいた中、対応することができないと申し訳ありませんので、事前にご連絡いただけますと幸いです。土日の午前中は法事等で対応できない可能性があります。 |
| 限定御朱印 | あり |
| 電話番号 | 0276-86-3077 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| メールアドレス | info@horinji.or.jp |
| ホームページ | https://horinji.or.jp/ |
| SNS |
| ご本尊 | 本尊:釈迦如来坐像 脇侍:阿難・迦葉尊者 韋駄天菩薩像 布袋菩薩像 華光菩薩像 緊那羅菩像 達磨大師像 観音菩薩像 中興開山潮音道海像 不動明王像 |
|---|---|
| 山号 | 眞福山 |
| 宗旨・宗派 | 黄檗宗 |
| 創建時代 | 1300年頃 |
| 開山・開基 | 大拙祖能禅師 |
| 文化財 | 梵鐘(町指定文化財|旧国重要美術品) |
| ご由緒 | 宝林寺の縁起については、再三の火災により、詳細は現在に伝えられていないところもありますが、開山が大拙祖能禅師であり、数多くの弟子を輩出し、また、中興開山潮音道海禅師の時代には、伽藍が建立されていたとする記録もあり、潮音道海禅師を慕い、数多くの僧侶がこの地に訪れたといいます。現在では、本堂と鐘楼堂を伝えるのみとなっていますが、その当時の隆盛は想像に難くないものと考えられます。 中興開基である須田覚心居士が、「師(潮音道海禅師)が慕われている中国天目山の中峰国師の法孫で、大拙祖能禅師が建立した寺が上州にありますが、大変荒れたままで檀信徒は再建を望んでいます」と潮音道海禅師に云い、この話を聞いた潮音道海禅師は、もとより中峰国師の禅風を最も慕っていたため、その再建に頗る意欲を見せました。そこで、須田覚心居士は、武州四方寺村(埼玉県熊谷市)の邑長吉田六左衛門宗信(大機居士)、その弟吉田四郎兵衛、栗原助左衛門、森田権右衛門等と諮って、潮音道海禅師を上州眞福山宝林寺に迎えることになったのでした。寛文7年(1667年)2月15日、潮音道海禅師は上州新福寺村(群馬県邑楽郡千代田町)の眞福山宝林寺に進山されました。その住山の偈に 瓶錫相携入寳林|瓶錫 相携えて寳林に入れば
潮音道海禅師の寳林寺復興に対する意欲は燃え住民を集めて「当塗王経(観音経)」の講義をはじめました。それは、豊かな学識と薀蓄のある見事な講義で、住民にとっては長い旱魃のあとの慈雨のごとく、人々の心は揺り動かされましたから、忽ち領内の大評判になりました。 この評判が館林城に伝わり、ときの城代家老金田遠江守正勝(梅山居士)と家老の本多甚左衛門(古巌居士)が「近頃江戸で評判の潮音道海禅師が領内にいるなら、城内にお招きして法話を聞きたい」と直ぐに迎えを出しました。そして、館林城での法苑は20日あまりに及び、城代家老金田遠江守正勝をはじめ数多くの家中が帰依しました。その評判もまたたくまに関東一円にひろまり、老若男女問わず、法苑が開かれるとそれを聞くために数千人とも知れず、ときには一郡が傾いてしまうといわれるほどの人が集まりました。 |
| 体験 |
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