ほうりんじ|黄檗宗|眞福山
宝林寺公式群馬県 東小泉駅
9:00-17:00
檀家以外の参拝 | 歓迎 | ||
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御朱印 | 御朱印をご希望の方は予めLINE、メール等にてご連絡ください。せっかくお参りいただいた中、対応することができないと申し訳ありませんので、事前にご連絡いただけますと幸いです。土日の午前中は法事等で対応… | ||
限定 | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり |
夏場も唯一欠かさなかったのが冠稲荷神社の月参り(というか毎月の神様朱印収集w) 例によって今月も受印しに行ったのですが、なぜか平日にも関わらず駐車場が満車( ゚д゚)?
・・・あぁなるほど(--;) 境内は七五三の群れ。
てゆーか冠稲荷よほど七五三で人気あるのか一般参拝客は自分くらいで、他はみんな七五三家族でなんか肩身が狭い(-ω-;)
さらにどの家族も拝殿前で集合写真撮るのでなかなか拝めないわ、うるさくて祈りに集中できないわ(主役の子供や親よりもじぃじ・ばぁば層が特に大はしゃぎ)、さすがにイラッときて早々に切り上げ(^^#)
(冠稲荷については参拝回数が多すぎるので、12月の神様受印してから年内分まとめて投稿予定)
口直しに静かなお寺に行くことにしましたw
選んだのは前々から気になってた地元では非常に珍しい黄檗宗寺院。
徳川綱吉と非常に関わりの深いお寺。というか東国では珍しい黄檗宗寺院がこんな所に忽然とあるのも館林城主時代の綱吉が創建に関わってるため。
外観は純和風ですが、本堂に祀られてる仏像が非常に独特な構成。 華光菩薩とかオラ初めて見たよ(*゚∀゚)=3
(華光菩薩=宋~明代にかけて中国南部で絶大な信仰を集めた華光大帝という道教神に由来)
華光菩薩を初めとして、韋駄天、緊那羅、達磨大師、布袋尊・・・本尊は釈迦如来ですがこれも脇侍が文珠・普賢ではなく仏弟子の阿難・迦葉だったり、非常に中国的でエキゾチック。
一般的な不動明王もありましたが、御住職自身が「なぜあるのかわからない」と言うほど、むしろこっちの方が異質な存在でしたw
御朱印をお願いしたところ、「本堂の前でお待ちください」ということで待っていたところ、本堂に上げていただきお線香上げさせてもらい (わざわざ御住職自身が火まで点けてくれた)
ほぼ線香1本が燃え尽きるまで、なんと約40分に渡り(!)寺の縁起や歴史、仏像について、黄檗宗についてなど詳しく説明してくださいました☆
(ちなみに強制ではないw 特に集印目的だと「他に回るところがあるから(-ω-)ノ」とか断わっちゃう人もいるみたい(^^;)
私的には非常に良いお寺でした♪
このお寺のもと末寺(ほとんどが廃寺か無住寺)について、お寺のHPに詳しく載ってたのですが、その一つが家の真ん前の岩井山にあったり、以前好奇心で行った廃寺の定額山善光寺だったり、何か奇妙な仏縁を感じました(^^)
御朱印は月替わりらしく、今月は白衣観音でした
山門
山門前に地蔵、月待の如意輪観音、庚申など民間信仰の古い石仏群
左手にブランコと砂場だけの公園
黄檗宗寺院でもここは外観はわりと純和風な感じです
水子・子育て地蔵
子供もいないのにこういう仏尊も拝むのに、一方で七五三にはイラつくw
所詮、私の信仰なんて偽善・建前的なもんです
鐘楼
何気に将軍になる前の綱吉と非常に関わりの深いお寺だった
この辺りの歴史的経緯については後ほど御住職が詳細に説明してくださいました
六地蔵と佛光普照の碑
「佛光普照」とは「仏光は太陽と同じように平等に普(あまね)く照らす」という意味で、今年入寂した台湾僧 釈浄空の言葉らしい
本堂
桃? 本堂前に桃の石碑が一対
黄檗宗の本山の萬福寺のHPにも桃のシンボルが随所に
まぁ日本神話の意富加牟豆美命でも中国の西王母の桃でも、桃は東洋では神秘的なフルーツですからね
本堂
この後、御住職が中に上げてくれて仏像や寺の由緒などを詳しく説明してくれました
ちなみに今回の元凶となった七五三も綱吉に由来するらしいw
なんか今回は犬公方の手に踊らされた感じだなwww
宝林寺の縁起については、再三の火災により、詳細は現在に伝えられていないところもありますが、開山が大拙祖能禅師であり、数多くの弟子を輩出し、また、中興開山潮音道海禅師の時代には、伽藍が建立されていたとする記録もあり、潮音道海禅師を慕い、数多くの僧侶がこの地に訪れたといいます。現在では、本堂と鐘楼堂を伝えるのみとなっていますが、その当時の隆盛は想像に難くないものと考えられます。
中興開基である須田覚心居士が、「師(潮音道海禅師)が慕われている中国天目山の中峰国師の法孫で、大拙祖能禅師が建立した寺が上州にありますが、大変荒れたままで檀信徒は再建を望んでいます」と潮音道海禅師に云い、この話を聞いた潮音道海禅師は、もとより中峰国師の禅風を最も慕っていたため、その再建に頗る意欲を見せました。そこで、須田覚心居士は、武州四方寺村(埼玉県熊谷市)の邑長吉田六左衛門宗信(大機居士)、その弟吉田四郎兵衛、栗原助左衛門、森田権右衛門等と諮って、潮音道海禅師を上州眞福山宝林寺に迎えることになったのでした。寛文7年(1667年)2月15日、潮音道海禅師は上州新福寺村(群馬県邑楽郡千代田町)の眞福山宝林寺に進山されました。その住山の偈に
瓶錫相携入寳林|瓶錫 相携えて寳林に入れば
門庭寂寞緑苔深|門庭 寂寞として緑苔深く
国師面目依然在|国師の面目依然として在り
明月一天耀古今|明月一天 古今に耀く
と詠まれました。
潮音道海禅師の寳林寺復興に対する意欲は燃え住民を集めて「当塗王経(観音経)」の講義をはじめました。それは、豊かな学識と薀蓄のある見事な講義で、住民にとっては長い旱魃のあとの慈雨のごとく、人々の心は揺り動かされましたから、忽ち領内の大評判になりました。
この評判が館林城に伝わり、ときの城代家老金田遠江守正勝(梅山居士)と家老の本多甚左衛門(古巌居士)が「近頃江戸で評判の潮音道海禅師が領内にいるなら、城内にお招きして法話を聞きたい」と直ぐに迎えを出しました。そして、館林城での法苑は20日あまりに及び、城代家老金田遠江守正勝をはじめ数多くの家中が帰依しました。その評判もまたたくまに関東一円にひろまり、老若男女問わず、法苑が開かれるとそれを聞くために数千人とも知れず、ときには一郡が傾いてしまうといわれるほどの人が集まりました。
住所 | 群馬県邑楽郡千代田町新福寺705 |
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行き方 | 東北自動車道:館林インターより約30分
東武伊勢崎線:川俣駅よりタクシーで約20分
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名称 | 宝林寺 |
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読み方 | ほうりんじ |
参拝時間 | 9:00-17:00 |
参拝にかかる時間 | 約5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり 御朱印をご希望の方は予めLINE、メール等にてご連絡ください。せっかくお参りいただいた中、対応することができないと申し訳ありませんので、事前にご連絡いただけますと幸いです。土日の午前中は法事等で対応できない可能性があります。 |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0276-86-3077 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@horinji.or.jp |
ホームページ | https://horinji.or.jp/ |
SNS |
ご本尊 | 本尊:釈迦如来坐像 脇侍:阿難・迦葉尊者 韋駄天菩薩像 布袋菩薩像 華光菩薩像 緊那羅菩像 達磨大師像 観音菩薩像 中興開山潮音道海像 不動明王像 |
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山号 | 眞福山 |
宗旨・宗派 | 黄檗宗 |
創建時代 | 1300年頃 |
開山・開基 | 大拙祖能禅師 |
文化財 | 梵鐘(町指定文化財|旧国重要美術品) |
ご由緒 | 宝林寺の縁起については、再三の火災により、詳細は現在に伝えられていないところもありますが、開山が大拙祖能禅師であり、数多くの弟子を輩出し、また、中興開山潮音道海禅師の時代には、伽藍が建立されていたとする記録もあり、潮音道海禅師を慕い、数多くの僧侶がこの地に訪れたといいます。現在では、本堂と鐘楼堂を伝えるのみとなっていますが、その当時の隆盛は想像に難くないものと考えられます。 中興開基である須田覚心居士が、「師(潮音道海禅師)が慕われている中国天目山の中峰国師の法孫で、大拙祖能禅師が建立した寺が上州にありますが、大変荒れたままで檀信徒は再建を望んでいます」と潮音道海禅師に云い、この話を聞いた潮音道海禅師は、もとより中峰国師の禅風を最も慕っていたため、その再建に頗る意欲を見せました。そこで、須田覚心居士は、武州四方寺村(埼玉県熊谷市)の邑長吉田六左衛門宗信(大機居士)、その弟吉田四郎兵衛、栗原助左衛門、森田権右衛門等と諮って、潮音道海禅師を上州眞福山宝林寺に迎えることになったのでした。寛文7年(1667年)2月15日、潮音道海禅師は上州新福寺村(群馬県邑楽郡千代田町)の眞福山宝林寺に進山されました。その住山の偈に 瓶錫相携入寳林|瓶錫 相携えて寳林に入れば
潮音道海禅師の寳林寺復興に対する意欲は燃え住民を集めて「当塗王経(観音経)」の講義をはじめました。それは、豊かな学識と薀蓄のある見事な講義で、住民にとっては長い旱魃のあとの慈雨のごとく、人々の心は揺り動かされましたから、忽ち領内の大評判になりました。 この評判が館林城に伝わり、ときの城代家老金田遠江守正勝(梅山居士)と家老の本多甚左衛門(古巌居士)が「近頃江戸で評判の潮音道海禅師が領内にいるなら、城内にお招きして法話を聞きたい」と直ぐに迎えを出しました。そして、館林城での法苑は20日あまりに及び、城代家老金田遠江守正勝をはじめ数多くの家中が帰依しました。その評判もまたたくまに関東一円にひろまり、老若男女問わず、法苑が開かれるとそれを聞くために数千人とも知れず、ときには一郡が傾いてしまうといわれるほどの人が集まりました。 |
体験 | 坐禅(座禅)写経・写仏仏像御朱印宿坊お守り重要文化財除夜の鐘ツナガリイム |
概要 | 宝林寺(寳林寺、ほうりんじ)は、群馬県邑楽郡千代田町にある黄檗宗の寺院である。山号は眞福山(しんぷくざん)。 徳川綱吉が城主であった館林城下に存在した幻の大寺院、萬徳山廣済寺の梵鐘が有名である(重要美術品、千代田町指定文化財)。 2023年1月30日、境内にある離れを活用し、全国でも珍しい寺泊施設「TEMPLESTAY ZENSŌ」を千代田町初の宿泊施設としてオープン。 |
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歴史 | 歴史[編集] 開山の大拙祖能禅師(勅諡:廣圓明鑑禅師)は14歳で仏門に入り、比叡山・東福寺・天龍寺等に学び、1343年に元に渡り千巌元長禅師に就いて修行し、中峰明本禅師の法衣を賜り帰国した。1306年の草創で、後に遠州大守を開基として、寳林寺を開創。日本大拙派を築くに至った。1667年潮音道海禅師は中峰明本禅師の禅風を慕って進山し、中興となり館林宰相綱吉公の帰依を受け、直伝覚心居士・大機宗信居士を中興開基として黄檗宗の宗風を振って道俗教化に務め、北関東最初の道場とした。1690年堂宇は悉く竣工を遂げたが、1866年に至るまでに再三の火難に遭い、堂宇等は焼失。京都七条仏所二十六代仏師康祐法...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 東北自動車道館林ICから約30分 関越自動車道東松山ICから約60分 東武伊勢崎線川俣駅から車で約20分 東武小泉線東小泉駅から車で約10分 |
行事 | 行事[編集] 2月15日 涅槃会(ねはんえ) 4月3日 宗祖忌(しゅうそき) 5月8日 降誕会(ごうたんえ) 8月12日 施食会(せじきえ) 8月18日 施食会(せじきえ) 8月19日 開山忌(かいさんき) 8月24日 派祖忌(はそき) 10月5日 達磨忌(だるまき) 12月8日 成道会(じょうどうえ) 12月31日 除夜祭(じょやさい) |
引用元情報 | 「宝林寺 (群馬県千代田町)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%9D%E6%9E%97%E5%AF%BA%20%28%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E7%94%BA%29&oldid=99033123 |
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