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なかじまじんじゃ

中島神社
群馬県 西小泉駅

中島神社について

元は浅間神社で、明治時代に近隣にあった八幡神社を合祀
社名は旧村名に由来
神社のすぐ東側にある、佐貫庄や庄内の多くの寺社の成り立ちに深く関わる「中島将監館跡」についても併せて記載

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中島神社の基本情報

名称中島神社
読み方なかじまじんじゃ
通称浅間神社

詳細情報

ご祭神《主》木花開耶姫命
《合》誉田別命
《境内社》稲荷神社・天満宮・白山神社
《摂末社》三峯神社・高尾山神社・石尊宮・他
《中島将監館跡》稲荷大神・土豪英霊碑・他
創建時代不詳
創始者不詳
ご由緒

元は木花咲耶姫の浅間神社であったという。
明治四十二年(1909)五月に字冨士原の浅間神社と字幡之宮の八幡宮を合祀して、旧村名から取った中島神社に改称。
永楽村7号墳という古墳上にあり、中腹に拝殿、頂上に本殿。
拝殿前で道が3つに別れており、左手に稲荷神社、右手に天満宮と白山神社が建つ。
平成二十四年(2012)に本殿修築。
――――――――――
【中島将監館跡】
この神社の東わずか90mほどの所に「中島将監館跡」という奈良時代の郷士の館跡と伝わる塚がある。
ここは現在の太田市・邑楽郡・館林市に跨がる庄園であった佐貫庄の成り立ちや、長柄神社など庄内の多くの寺社縁起に関わる重要史跡のため併せて記す。
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【中島将監館跡資料①】
中島将監屋敷跡は、面積約一町歩(一ヘクタール)、西南は用水路で区画され(昔は溝堀)、北西には溝堀の旧跡がある平林でしたが、明治四十一年(1908)に畑地になったといわれています。
 ここに、宝亀年間(770~781)頃、中島三郎太郎家綱という郷士が住み、富子という美しい娘がいました。その頃、都から藤原小黒麻呂が諸国巡検のために上野国に入り、この中島館に滞在しました。その時、富子との間に知勇兼備の男子が生まれ、やがてその子孫が広く佐貫荘一円(邑楽・館林地方)を治めていたと伝えられています
(現地案内板より)
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【中島将監館跡資料②】
奈良時代、中島三郎家綱(将監)という郷士が住んでいた屋敷跡とされる。中島将監は佐貫氏の祖といわれる佐貫太郎資高の祖父。
宝亀年間(770~81年)に藤原北家の祖・房前(藤原不比等の次男)の孫にあたる小黒麻呂が、当地を訪れ将監の館に滞在した。
その折、将監の娘・富子と結ばれ資高が生まれた。宝亀十年(799年)の出来事とされる。
資高は知勇兼ね備え、成長すると佐貫太郎資高と名乗り佐貫庄の基礎を固めた。
資高の子 資綱、孫 嗣綱も智勇にすぐれ、庄内に一族を配置し勢力を拡大した。この資高の系統の佐貫氏を「藤原小黒麻呂流」と言う。
明治四十一年の開墾時、多くの板碑と人骨の入った甕が発見されている。板碑は文字の読めるものが16基あり、最古は弘安七年(1282年)の銘があったとされる。

ご利益
体験
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