御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
八幡宮 (新宿町二丁目)ではいただけません
広告
御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
-

八幡宮 (新宿町二丁目)について

池を作ってはならないという伝承が伝わる

群馬県のおすすめ🎏

広告

写真

この神社の写真はまだ投稿されていません。

初めての写真を投稿しませんか?

投稿する

八幡宮 (新宿町二丁目)の基本情報

住所群馬県桐生市新宿2-4-30
行き方
アクセスを詳しく見る
名称八幡宮 (新宿町二丁目)
読み方八幡宮
通称新宿八幡宮
ホームページhttps://www.kiryu.co.jp/kurobeinotengu/hatiman/index.html

詳細情報

ご祭神《主》品陀和気命
《配》息長帯姫命
創建時代元亀年間(1570ー1572年)
創始者不詳
ご由緒

新宿二丁目 新宿が開拓された元亀年間(1570ー1572年)に元宿からこの地に移され たと伝えられるが、文政六年(1823年)の新宿大火で社殿や文献ともに焼失し、詳細は不明。
祭神はホッタワケノミコト(応神天皇)とオキナガタロウヒメノミコト(応神天 皇の母)で応神天皇を彫り出した本殿の彫刻のすばらしさは有名。

【池を作ってはならない】
かつては、この八幡宮境内には大きな美しい池と水神宮とが見れれたと記録されている。けれど今はそのどちらも名残さえとどめてはいない。 そればかりではない。不思議なことに町内どこにも池の姿はないのである、実はこのことに八幡宮の伝承がかかわっているのだ。
昔のこと、何の前触れもなく応神天皇が放光村(新宿の旧名)を訪れた。
天皇は、かなりの遠乗りをされておいでのご様子で、すでに晩秋というのにうっすらと額に汗を光らせておられた。
それだけに、放光村へ入ってすぐに目についた大きな池に、天皇はホッとした表情を浮かべると、そのほとりへと愛馬を進ませた。
池の表を渡ってくる微風が汗ばんだ肌に心地よく、ほどよ く色づいた木立や山々も、しばしの休息を楽しまれる天皇の心をなごませてくれ た。
天皇がそんな美景に見ほれていた時だった。静かな日には、まったく思いもよら ない一陣の突風が巻き起こり、砂塵を舞い上げて天皇を襲ったのである。 あまりにも快い日、あまりにも美しい景色、流石の武人天皇にもスキが生じ ていたのかも知れない。
黄色い砂ほこりとなって襲った突風が、天皇の前垂れを吹き上げ、お顔を覆と、一瞬たじろがれた。 そのはずみで手綱捌きを誤り、愛馬もろともドウッと池中に落ち込まれ た。
幸い、天皇はどこにもケガはなかった。しかし愛馬は前足を骨折して 、二度と天皇を背にすることができなくなってしまったのである。
はるかに遠い昔、この地でこんな事件があったという。 後の世となり、里人は応神天皇の霊(みたま)をむかえ、村の総鎮守・八幡宮を 創建した。
ところが、信奉とはうらはらに池を作ると病人やケガ人が出るという いまわしい事が持ち上がるようになったのである。 八幡宮境内だけでなく、 村のどこに作っても、そうだったので、里人は「八幡様は、まだ昔のできごとがお忘れになれないのだろう」と、この 現象をそう解釈して、境内はもちろん、氏子の家々の池を残らず埋め立ててし まった。
そして「今後は氏子は池をつくることを禁忌とする」としし、あわせて前垂れに似たオカケも使わないことを申し合わせた。
時の流れは、やがてこの申し合わせを新宿全域の禁忌と風習にまでひろげて、今日に至った。しかも、科学万能の世になっても、このことは固く守り続けられているのである。
他市から転居してきた池好きのKさんが、禁忌を知らずに池をつくり失敗した事実があるからばかりではない。これは先祖の伝えを守り続ける里人の奥ゆかしさと言えよう。

体験伝説

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ