きりゅうてんまんぐう
桐生天満宮のお参りの記録一覧
桐生市の中央に立つ大きな神社で、関東五大天神の1社とされています。元々は景行天皇さまの御代に天穂日命さまを御祭神として建てられた礒部明神という名前でしたが、後世の天満宮信仰の影響により、当社も天穂日命さまの子孫とされる菅原道真公を合祀して天満宮となりました。桐生市自体が当社を中心に町が作られているため、受験シーズンには多くの受験者の参拝で盛り上がります。
《一の鳥居と社号碑》
ちなみに関東五大天神を自称していますが、残り4社に関しては言及されていません。
《結婚式の看板》
《表参道》
《ニの鳥居》
《機神神社》
上野国に倭文神社があるように、この国でも機織りの技術が伝わっていたことが分かります。富岡製糸場などがある意味ではこの地方を表しているものかもしれません。
《太鼓橋》
《風水の説明》
天満宮、ひいては神社では珍しく風水との関係を具体的にからめている神社でもあります。意外にも群馬には風水、占いに関連している神社が結構見られます。
《水車》
《手水舎》
蓋が閉められて使えなくなっています。
《神紋》
《拝殿》🙏
《本殿》
当社は南北朝時代に現在地へ遷座したあと、徳川家による勅願所に指定されて篤く信仰されていました。そうした徳川家の信仰神社の特徴として日光東照宮のような多くの彫刻によって彩られた本殿を当社も持ちます。現在は国の重要文化財に指定されています。
《末社・春日神社》
こちらも国の重要文化財に指定されています。
《御守り》
素敵なデザインだったので受けてきました。また当社と兼務社の美和神社の御朱印を書き置きでいただきました。
景行天皇の代(71年~130年)上毛野国造が天穂日命を祀り礒部明神として創建したと伝わる。
1187年から当地を支配した桐生綱元が現在地へ遷し、1350年頃京都北野天満宮から分霊を勧請、合祀し桐生天満宮として桐生五十四ケ村の総鎮守となった。
1581年徳川家康の東征の際、朱印地を受け徳川家代々の祈願所となった。
現在の本殿・幣殿は1789年に建築、拝殿は1802年に建築されたもので、末社春日社(天正から慶長(1573年~1615年)年間の建築と推定)とともに今年重文指定される。(末社機神神社は附で重文指定)
拝殿
拝殿
神門
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
財福稲荷
財福稲荷
宝船神社
神楽殿
末社春日社
末社春日社
末社春日社
末社機神神社
末社機神神社
末社機神神社
24日に続き翌25日も桐生。
この時点でやっと総鎮守参拝です(^^; 遠くの町なら総鎮守とか一宮とかは最優先かと思いますが、いつでも行ける隣町ならどうでもいい。
・・・まぁ遠くの寺社でも単に知名度とほぼ確実に受印できるという理由でそういうとこ優先するだけですがw オシャレするのに無難にブランド品身に着けるのと同じっすよwww
延喜式も社格も所詮人間の都合で決めたもの、神様には何の関係もナイ!( ・∀・)
梅田方面行く時に必ず通る道にある大きい神社なので存在だけは昔から知ってましたが参拝するのは初めて。
何度か触れたように、4/25が春の例祭日と聞いて合わせて行ったのですが思いっきりガセネタだったw
各地の例祭日を調べるのに「祭の日」というサイトをよく利用するのですが、ここ無人社とかマイナー社の祭りは広範囲に載ってて日にちもわりと正確なのに、なぜか大社の方が精度が低い・・・前回の一之宮貫前神社もそうだったし(^^;
大社なのでそれなりに見処が多かったので写真多数ですw
平日ということもあってか参拝客はほとんどおらずほぼ貸し切り状態。宝徳寺と違ってこっちは観光客あまり来ないんだな。
そのためかわりと大きい神社ですが、授与所は常時開放ではなく社務所に声掛けでした。
やっと桐生総鎮守を受印
関東五大天神の他はどこだ?と調べたところ湯島、亀戸、谷保・・・東京ばっか( ´-ω-)
もう一社は諸説あってハッキリせず、まぁ関東○大とか日本○大とか名乗ってるところなんて大抵自称だけどw
境内社の宝船神社
通常と違い神道の神だけが充てられた七福神
ちなみに通常の桐生七福神巡りはすべてお寺
財福稲荷
これが自分にとっての一番のお宝 また稲荷社コレクションが増えた♪
一の鳥居
駐車場が思いっきり神社裏なので、長い参道を外から迂回し入り直し(;´A`)
参道左右にも思いっきり車止まってますが・・・まぁ地図上では一応神社裏が正規の参拝者駐車場だったので(震え声)
「松聲堂筆塚・川島桐華傳碑」
Google Mapのクチコミに詳しい説明がありましたが・・・うん、よくわからんw
さすがに歴史好きでも郷土の名士とか文化人レベルまではチェックしてない(^^;
観光マップ
今日は祭りの情報に惑わされ親が着いて来ちゃったので、寺と受印できない無人社が回れなくなった(ノ∀`)
二の鳥居
手前右に最初の境内社 機神々社
天満宮本殿とは別の、機神々社独自の手水舎らしく水なし
やっぱ「はたかみがみしゃ」じゃなくて、「きしんじんじゃ」か「はたがみじんじゃ」のどちらかだろうな・・・たぶん(^^;
中はお座敷に社殿が鎮座
桐生の境内社はこのスタイルが多いな(・・ )
機神々社横には御神木の大銀杏
例大祭1ヶ月も前じゃねーか(^^;
ガセにもほどがあるだろ「祭の日」www
さすがにこのレベルの神社となると神様専用の神橋もあり
厳密な四神相応だと、玄武(山) 青龍(川) 白虎(街道) 朱雀(池沼・海)となるはず
「低山と水源」に置き換えてこじつけなくても、桐生ならボートレース場のある阿左美沼を朱雀に充てればいいと思うんだが・・・西にズレ過ぎててダメなのか?w
からくり人形水車とのことですが、神社HPには説明がなくどういうものだか不明
藤棚がありましたが、ここは日陰のためか開花が遅れてた
端の方に少しだけ咲いてた
本殿の手水舎も使用不可
お稲荷さん発見☆
金運将来の財福稲荷 イイネ!( ・∀・)
もとは豪商の屋敷稲荷
ここは内陣と外陣に別れてるので、まずは外陣から拝みます
まずは境内社の宝船神社
神道神のみで構成された独自の七福神
イザナギ・イザナミが両方含まれてるので正確には八福神
大宮能売神が弁財天に相当するのかな
宝船神社の横に彩色された神楽殿
本殿の右後ろに直日神社
イザナギが黄泉の穢れを落とした時に大禍津日神という災厄神が産まれ、それを直すために産まれた神様
災い転じて福となす神徳あり
日つながりでアマテラスちゃんも合祀されてます
天岩戸とも繋がる神話だしね
御神体は三本の幣束
本殿裏には春日神社
二社あったがどちらが春日社か不明
神社のHPにも春日社しか書いておらず、もう一社は祭神もわからず( ´・ω・`)
他でもそうなんだけど、どうも大社のHPほど境内社がおざなりにしか説明されてないところが多い(^^;
本殿だけで十分客が呼べるからか、どうせ摂社末社まで拝むやつなんてよほどの物好きだけだろ('A`)と軽んじられてるのかw
どちらも額等はなく判別できず
右側の方がなんとなく豪華だったのでこちらかもしれない
再び正面に戻り内陣の本殿を拝みます
天神様に付き物のなで牛
霊石の牛石とあり
もとはこれがなで牛代わりだったのかな?
やはり桐生総鎮守だけあり本殿は大きいです
授与所は平時は閉まっており、受印は参道左の社務所に声掛け
拝殿
左から見た本殿
さすがに彫刻ビッシリで豪華♪
社務所
御朱印はもう一つ道真公の和歌もありましたが、これは次回の楽しみに取っておく
ここ授与品の初穂料が一切書かれてないので、日和って御札に手が出せず(^^;
神社横にこどぐるでゴローさんが入りそうな面白そうなお店ありw
お昼時なので入ってみました
ギャラリーレストランとあるが・・・どういうものか?('_'?)
これは・・・!Σ(*゚Д゚*)
中にはスターの似顔絵がズラリ☆
民家を改造したらしく入ってすぐにお座敷でした
歌手、日本の俳優、ハリウッドスターなどが並んでます
ディカプリオと裕次郎が隣り合わせに並ぶw
ヘップバーン
山口百恵さん?
ずうとるび(違)
死んでもらいます!
昭和残狭伝の健さんもいます
何か殺気を感じて振り替えると・・・ゲェ!組紐屋の竜に狙われてる!Σ( ̄ロ ̄lll)
シュルルルル・・・シュピ! ウッ!?(*д*) ギュイイイィン!・・・チリン
https://youtu.be/53teRvqw0BQ
ヤベェ!はぐれ仕事人・参と高天原綾麻呂にも狙われてる((( ;゚Д゚)))
鶴瓶師匠が来たことあるみたいっすねw
カラー作品も少し
八重の桜の綾瀬はるかさんですな
お店で推しの歌手のようです
最近は演歌歌手もLiSAみたいな横文字なんだなw
昨日に引き続き桐生名物ソースカツ丼w
てか前の日に日限地蔵尊で売ってたのは薄味すぎた(^^; やっぱ全然違う♪
前橋にて『群馬御城印サミット🏯』の帰りに
参拝させて頂きましたが
10月は神無月、御祭神は出雲大社へ出張中ですかね🥲
分かっちゃいるけどだけれども近くまで来ちゃったから
吸い込まれるようにして参拝⛩
やはり神様の引力には勝てないのであります🙇♂️
御祭神は菅原道真公とそのご先祖であらせられます
天穂日命(あめのほひのみけと)と七柱☀️
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)開運招福
事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)商売繁盛
大宮能売神(おおみやのめのかみ)家内安全
天鳥船大神(あめのとりふねのおおかみ)交通安全
少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)身体健康
須佐之男命(すさのおのみこと)災難厄除
伊邪那岐命と伊邪那美命
(いざなぎのみこと、いざなみのみこと)良縁円満
全ての御利益を同時にお受けする事が出来る
大変ありがた〜い神社なのです🤗
やったねー✌️
運気上昇間違いなしであります🌈
『第2回群馬御城サミット🏯』にて御城印、武将印も
お受けする事が出来ました。
一緒に当家神棚へINさせて頂きます⭕️
開催して下さりありがとうございました😊
第3回も楽しみにしております🤗
(2022年5月の参拝です)
桐生天満宮にて書置きの御朱印を頂きました。
桐生天満宮は桐生市の中心部本町に鎮座しています。
ご祭神は菅原道真公と天穂日命です。
景行天皇の時代に天穂日命を祀る神社として創建されたと伝えられ、当初は礒部明神と言われていたが
観応年間(1350年頃)に桐生氏が現在の位置に移し、京都より北野天満宮の御分霊を合祀して「桐生天満宮」となり
菅原道真公を祀るようになりました。江戸時代には徳川家の祈願所となり現在に至ります。
桐生の総鎮守です。
天満宮なので撫で牛がおられました。
本殿は寛政年間に建立され装飾品・彫刻が素晴らしいです。
春日社は桐生市指定重要文化財です。
摂社は他に宝船神社、財福稲荷、織神神社が鎮座しています。
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御朱印
一の鳥居
二の鳥居
太鼓橋
神門
手水舎
狛犬
拝殿
本殿
ご神木
春日社
神楽殿
摂社 宝船神社
摂社 財福稲荷
撫で牛
摂社 織神神社
今回で2度目のおまいりです。
前回は、摂社末社は、駆け足で廻ったので、今回は、ゆっくり時間を掛けてお参りできました。
財福稲荷、宝船神社とぜひども御神徳を頂きたいお名前の境内社があり、お参りしたあとは思わず、宝くじを買いたくなっちゃいますね。
天神様の本殿と本殿のそばの神明社、裏手の春日社は、彫刻が素晴らしいです。特に天神様の本殿はとても素晴らしく、もし朱や漆などで彩られていたら感動するとおもいます。
拝殿正面(賽銭箱前)からの写真撮りはNGとなっています。
社務所は、閉まっていますが境内にある宮司さん宅にて御朱印や御守りなどを頂けます。
御朱印は、書き置きのみにされたみたいです。
御神木
桐生天満宮
この参拝した日は、ちょうど「ガラクタ市」「骨董市」なる催し物があり、落ち着いて写真を撮ることが出来ませんでした。悪しからず
拝殿
宝船神社
神楽殿
こちらは、とても立派な彫刻が施されていました。関口文治郎さんの作品とのこと
財福稲荷
桐生門
神明宮 直日神社
桐生天満宮(きりゅう~)は、群馬県桐生市にある神社。祭神は、天穂日命、菅原道真公。桐生総鎮守で、現在の桐生市は当社を中心に形成されている。また桐生市には学校が多いことから受験シーズンには参拝者が多いとのこと。
社伝によると、景行天皇の御代に天穂日命を祀って創建。当初は「礒部明神」と称した。南北朝時代に桐生綱元が現在位置に移し、京都の北野天満宮の分霊を合祀して菅原道真公を祀る天満宮となった。その際、社名を「桐生天満宮」と改称するとともに、桐生領54ヶ村の総鎮守に定められた。戦国時代に徳川家康が東征の折、徳川家の祈願所として朱印地を下賜し、1600年の関ケ原合戦の時には軍旗に用いる旗絹を当宮神前に供えて戦勝祈願した。現在の社殿は1789年に造営された。
当社は、JR両毛線・桐生駅の北東2km弱の平地、市街地にある。市街地の中心を通る<本町通り>の北の突き当りが当社になっている。境内南西端の境内入口の鳥居をくぐると、参道がしばらく続き、突き当りには古く威厳のある社殿がある。社殿周りはこぢんまりとしているが、絵馬の多さなどから参拝者の多さからくる活気が感じられる。
今回は、当社の宮司さん宅で上野国式内社の美和神社の御朱印を拝受できることから参拝することに。参拝時は週末の午後、地元に根付いた神社のようで、地元民と思しき方々をぱらぱら見かけた。
境内南端入口にある<一の鳥居>と<社号標>。境内は街のメインストリートに沿っていて、南北に細長い。
鳥居をくぐったところ。参道の両側には、ほど良い本数の大木が立っている。
やがて立派な燈籠と<二の鳥居>が見えてくる。
二の鳥居の右側にある大きな境内社<機神々社>。社号標には<桐生最古織物市場発祥地>のサブタイトルが刻まれている。
参道をまっすぐ進むと、参道上に<神橋>が現れる。
斜めから見ると、こんな感じ。石製の立派な神橋の後ろには神門、社殿が見える。古社らしい、いい雰囲気。
参道右側にある大きな<手水舎>。
参道の左側にある<財福稲荷神社>。
参道の左手には、大きな境内社<宝船神社>。建物は平成の建立。
宝船神社の右隣にある<神楽殿>。黒い躯体に彫刻に彩色が施された綺麗な神楽殿。
いよいよ<神門>をくぐる。
<拝殿>全景。大きく重厚感がある。扁額には縦書きで<八幡宮>。手前左側の建物は授与所。
拝殿手前の<なで牛>。
拝殿後ろの<本殿>と、本殿・拝殿を繋ぐ<石の間>には、繊細な彫刻が施されている。彩色が褪せた感じも味わい深い。
社殿近くにある、鳥居、燈籠付きの境内社<神明宮・直日神社>。
社殿の裏手にある一間社流造の境内社。右側の<春日社>は戦国時代中(1600年前後)の建立で、桐生市最古の建造物とのこと。
社殿の裏手にある石製小祠群。
二の鳥居の脇にある宮司さん宅。御朱印はこちら。
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