こうずけのくにいっしゃやわたはちまんぐう
上野国一社八幡八幡宮のお参りの記録一覧
上野国一社八幡八幡宮参拝⛩️
こうずけのくにいっしゃやわたはちまんぐう
妙義山から高崎方面へ向かい一社八幡八幡宮へ、一社八幡宮ってどういう意味かと思って調べたら一国に一社の八幡宮ということで上野国で一番の八幡宮という意味だそうです。
源氏の崇敬深い神社だそうで、歴史を感じる神社でした。
神門
随神門
随神門から振り返りの景色
手水舎
神楽殿
拝殿
本殿
裏神さま
地主稲荷社
東照宮
日枝社
御朱印 書置き
久し振りの天気だったので、いずれ行こうと思っていた高崎神社巡りをしてきました。最初は高崎の西はずれ安中に近く、八幡荘と呼ばれていた地域です。この地は関東の源氏の拠点となっていた地域で、源義重がこの地に石清水八幡宮から勧請して創建されたのが今回の神社です。結構な距離を走って来て、一社八幡とあって大きな神社で見ごたえのある神社で良かった。神仏習合の名残を残す神社で、仁王様と随神様がいらっしゃいました。駐車場は石段上の境内にあるので、いったん車を停めてから石段を下りて神門から再度上がっての参拝。最近も修復事業がや新たな騎馬像などの寄進があり、地域から大事にされている様子でした。
平成二年(1990)建立の大鳥居
神門(元仁王門)弘化二年(1845)造営
社号標
平成二十七年(2015)に復興された仁王像
石段
花本大明神(芭蕉)句碑「ものいえは 唇寒し あきの風」
二の鳥居
文化十一年(1750)あるいは宝暦七年(1757)再建の随神門(県重要文化財)
随神様
源義重公概略
令和六年(2024)寄進の源義重公騎馬像
手水舎
手水盤
鐘楼(県重要文化財) 廃仏毀釈の際は太鼓を吊り下げ鼓楼と称して破却を免れた
昭和五十三年(1978)鋳造の大釣鐘
慶応三年(1867)青銅燈籠(ぐんま絹遺産)(市重要文化財)高崎田町出身で、横浜弁天通において糸繭商を営み、日本有数の大商人となった野澤屋惣兵衛(茂木惣兵衛)が大願主となって金300両で造営
台座には寄進者名と金額、拾両や五両とあります
文化十一年(1750)あるいは宝暦七年(1757)再建の拝殿(県重要文化財)
拝殿内天井画
脇障子
文化十一年(1750)あるいは宝暦七年(1757)再建の本殿(県重要文化財)
神楽殿(県重要文化財)
石碑 裏には嘉永七年(1854)と刻まれ、表には皇朝学士関橋守とあります。歌碑と思われますが詳細は不明
境内社 天満宮 享和元年(1801)竣工。江戸時代までは本地堂(県重要文化財)廃仏毀釈の際は養蚕の神様、金色姫をまつり、「蚕養(こがい)神社」と称して破却を免れた
扁額
文化八年(1811)奉納の燈籠
文化四年(1807)奉納の燈籠
燈籠
昭和五年(1930)奉納の天水桶
境内社 二十二社(事代主神・少彦名神・諏訪大明神・貴船大明神・高良大明神(玉垂命)・松尾大明神・猿田彦大神・生田大神(稚日姫命)・三和大神(大物主命)・若一王子・天照皇大神・大山祇神・太玉神・住吉大神(底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命)・鳴熊大神(千熊長彦)・気比大神・陰陽二柱神(伊弉冉命・伊弉諾命)・天満宮・姫三女神(奥津島姫命・市杵島姫命・多岐都比売命)・抜鉾大神(経津主命)・春日大明神
文化五年(1808)奉納の燈籠
昭和四十九年(1974)奉納の燈籠
境内社鳥居
境内社 東照宮(疫斎神)(県重要文化財)
燈籠
境内社ではなさそうです。境内案内図には神輿庫とあります。
扁額「八幡大神」
境内社社頭
境内社鳥居
元治二年(1865)奉納の燈籠
境内社参道
境内社 地主稲荷神社(本宮)(県重要文化財)安永五年(1776)造営
燈籠
大黒天
境内社 日枝社(県重要文化財)延享四年(1747)造営
猿田彦大神石碑
猿田彦大神石碑
元和九年(1623)奉納の燈籠
燈籠
高崎辰年御朱印巡り
辰の御朱印を集めて令和6年の繁栄を祈願しましょう
とのことで、以前伺った時いただきそびれた御朱印をいただいてきました。最終日に…ありがたや。
ご縁に感謝します。
高崎辰年御朱印巡りの御朱印。龍がいます。
通常の御朱印のデザインが変わったようです。
鳩がいます。たぶん印刷ですが、なんというか他にはない味があります。
於菊稲荷参拝後はこちらへ。
八幡が連続してる名前に惹かれて参拝しました。
神仏習合の色が残る神社で、仁王門の力士像の隣には御幣束が。
さらに境内には鐘楼があったりと。
社殿は年季が入っていて、天井ががありましたが色褪せてて少し見えにくい。
本殿裏手に回ると裏神様としてイザナギイザナミの夫婦神が祀られ、その反対面には摂社22社がお祭りされてました。
あとは境内社として日枝神社やお稲荷さんなどなど。
ちなみに境内に20cmくらいの七福神像が、あるので、全部見つけるのも良いかもですね!
お隣の大聖護国寺さんにも参拝したかったのですが、現在改修中とのことで拝観叶わず。
達磨寺さんへ向けて出発です(^○^)
仁王門
金剛力士像の隣に御紙束が。
まさに神仏習合
石段をひたすら登り
鳥居の先に随紙門が。
鐘楼
拝殿
正面から
由緒書き
神楽殿
配電の天井画
御本殿
本殿裏手に裏神様。
裏神さまの向かい側には22柱の摂社が大集合
東照宮に
お稲荷さん
手前に七福神の大黒様
日枝社
拝殿前にて御朱印と。
書き置きのみの対応でした。
高崎辰年御朱印巡り
辰の御朱印を集めて令和六年の繁栄を祈願しましょう、とのことで
六社目 上野国一社八幡八幡宮
御祭神 誉田別尊 息長帯姫命 玉依姫命
平安時代に京都の石清水八幡宮を勧請 歴史を感じます
伺って来ました…が社務所が閉まっており、御朱印いただけず…
そして帰ってきて調べたらすぐ近くの大聖護国寺が神仏分離令の時に別々の信仰対象になったお寺…とどうやら関わりの深い2所…
なのでこちらもまた後日伺わせていただきたいと思います
神門
仁王さま
階段を登ります
振り返る
隋神門
あっ、七福神😃
布袋さま
弁天さま
ご由緒
重要文化材についての説明
こちらも
ご本殿も
ご拝殿
渋い
灯籠の足が個性的
龍がいます
ご拝殿の先には22社
裏神さま 伊邪那岐命 伊邪那美命
写真は撮ってません😅
恵比寿さん
福禄寿さん
毘沙門天さん
地主稲荷神社へ
なんだかとてもよい雰囲気
大黒さま
鐘楼
ご拝殿前に戻りました
今日のご縁に感謝します
天満宮
寿老人さん
七福神おられました
前回はウチから見て東勝神洲に当たりますイバーラギに行ったので、今回は西牛賀洲はグンマーの高崎に行きました。
現地に着いてコンビニでさて最初はどこにしようか?とググったところ、ここのすぐ近くだったので決定。
上野国一社、まさに上州路のスタートを切るに相応しいではないか(´_ゝ`)
ウム、予想通り良い神社だ。 でかい、立派、古い、御朱印あり(´∀`)
最初からの当たりに気をよくしていろいろ見て回ってると、裏に摂社が・・・ほう、地主稲荷というのか。ん?
ガーン(´д`|||) 昨日が祭礼だったのかよ・・・ orz
貼り紙を見て、こちらの御朱印は祭礼の日しかもらえない
と思ってたのですが、藁にもすがる思いで授与所で訪ねてみたところ
「え?書き置きならありますけど・・・(;゜∀゜)」
知らないうちによほど必死感を出してしまったのか、宮司さんがやや引き気味に教えてくれましたw
というワケで一社目は無事2枚拝受です(^○^)
いきなり仁王門あり。神仏習合の名残が随所に感じられます。
神社に鐘楼。 これも古き良き神仏習合の名残。
後から調べたところ天満宮だそうです。
観音山方面の眺望が素晴らしい。
おや? こんなところに稲荷社が。
地主稲荷神社
上野国一社、八幡八幡宮。数年ぶりにお詣りしましたが、所々しか記憶がなく、改めて、規模の大きさや社殿の荘厳さを感じました。
道路の突き当たりに大きな山門があります。
異空間の始まり。
一の鳥居
仁王門
朱と金が印象的
神楽殿
拝殿
天井画が時代を感じます。
立体感のある龍
拝殿横側
あった!裏神様、縁結びの神様です。
後ろには末社がずらり
JR信越本線群馬八幡駅から徒歩10分くらいのところに居られます。
957年に京都の石清水八幡宮を勧請したと伝えられています。
一国一社の八幡宮として古くから崇敬されていたようで
源頼朝が奥州征伐の際に戦勝祈願したことをはじめ
武田信玄、徳川家康など名だたる戦国大名からも崇敬を受けていたようです。
境内は広くて、神仏習合の名残が濃い、雰囲気のいい神社です。
黒い目が印象的な龍の彫刻です。カッコいいですね。
拝殿から龍が飛び出しているような形で胴体までしっかりと彫られています。
彩色は殆どはがれていますが、彩色されていれば相当凄いんだろうなって想像できますよね。
天満宮です。屋根の赤色が鮮やかですね。
獅子と獏の彫刻ですね、
獅子がずらっと並んでいます。
境内からの眺めも良いですね。
神楽殿です。二階建てとかあまり見かけないですよね。
神社だけど鐘楼があります。
青空に社殿が映えますね。
随身門越しの拝殿。
コシカケ放題
集中線のような雲だったので鳥居も一段と際立って見えますね。
石段から鳥居越しで随身門を仰ぐ
山門もあり仁王様が居られます。日焼けしてボディビルダーみたいですね。
力強くてカッコいいですね。
参道から見た姿も良いですね。
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