おぼりじんじゃ
小祝神社
公式群馬県 南高崎駅
社務所10:00-15:00(御朱印対応、御守りなど)
小祝神社(おぼり~)は、群馬県高崎市にある神社。式内社、上野国七之宮で、旧社格は郷社。江戸時代の名称は「小祝大明神」祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)。
創建は不詳。付近には三島塚古墳(4世紀から5世紀の円墳)があり、境内からも縄文時代前期の土器片が出土したことから、古くより当地に鎮座していたと推測されている。国史では平安時代880年に「小祝神」の神階昇叙の記載がある。927年の延喜式神名帳では「上野国片岡郡 小祝神社(振り仮名は「おはふり」)小」と記載されている。『上野国神名帳』などの古文書によると、上野国において4番目から7番目の序列の神社であったらしい。
江戸時代中期の1716年に宗源宣旨で神階が最高位の正一位を授けられている。翌1717年に高崎城主・間部詮房により現在の本殿を造営。なお、当寺の別当寺は、現在も隣接している石昌寺。明治時代に入り、1872年には近代社格制度の郷社に列し、1909年には神饌幣帛料供進社に定められた。
当社は、JR高崎線・北陸新幹線・高崎駅の南西2kmの住宅街の中にある。敷地に幼稚園を併設しているためか、旧郷社にして社殿はそれなりに大きいが、境内は広くない。
今回は、上野国の式内社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中、自分以外に参拝者はいなかった。
境内全景。鳥居、社殿は南向きに建っている。<社号標>は2種類、新しいものが敷地外、古いものが敷地内に立っている。
境内入口の<鳥居>。
鳥居をくぐったところ。境内奥の西側は保育園になっている。
参道をさらに進む。
一段上がると右側に<手水舎>。
境内はさらにもう一段上がる。
<拝殿>全景。社殿は江戸時代中期の1720年に竣工。褪せた薄緑いろの銅板葺の屋根と、ビビッドな朱色のコントラストが美しい。
<拝殿>正面。扁額には<正一位 小祝大明神>の文字。正面の梁などには、彫刻が彩色されている。
<社殿>全景。拝殿、本殿の大きさのバランスが良い。
本殿裏の色彩豊かな彫刻。彫刻はパネルをはめ込む形になっており、群馬県内最古とのこと。本殿は三間社入母屋造。
本殿の後ろ側、透塀の中に、おそらく昔の御神木の切株。
社殿の右側に石碑群。<地神>、<猿田彦大神>などの文字が見える。
拝殿から見て左前にある<神楽殿>。
入口の鳥居付近に戻って、境内東側に建つ<社務所・授与所>。御朱印はこちら。なお参拝時、<社頭対応時間、10:00~15:00>との張り紙がされていた。また、授与所には2種類の御朱印のサンプルがあって、<本日(10:00~日没)はこの二つの書置き>との記載があった。
御朱印アルバム Album of "Red Ink Stamps"
https://orientearl.com/
小祝神社さんより、御朱印を授与いたしました。
また、サイトに「御朱印Diary」のページを新設しました。
続いて、サイトに「御朱印Movie」のページも新設しました。
一人でも多くの方に、サイトを訪れてほしく思っております。
ぜひ、サイトもご覧ください♪♪♪
複数の御朱印を授与しても、一度の投稿では1体のみの投稿といたします。
過去の御朱印や、他に授与した御朱印に興味と関心のある方は、ぜひ、オリエント伯爵のサイトをご覧ください。装飾や文章は省き、アルバム形式で御朱印を掲載しています。
オリエント伯爵
新春高崎神社巡り②オボリ神社と読みます。式内社で少彦名命が主祭神で医薬、病気平癒などの神として祀られれています。いつもより念入りにコロナ終息を祈念してきました神社は広くはなく、保育園が隣接というより境内にあり園児たちが境内で元気に遊んでいました。本でっは立派できれいな装飾が施されていました。御朱印は加秋入れしていただける日もあるようですが、本日は書置きで戴きました。しかし大判の御朱印帳にも少しは目出てしまう大きさなのは残念でした。
社号標
鳥居
由緒書
灯籠
手水舎
拝殿
扁額
本殿 正徳3年(1713年)高崎城主、真鍋越前守詮房による造り替え
高崎市最古の本殿
狛犬
小祝神社甚句
水神 庚申塚
神楽殿
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