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おぼりじんじゃ

小祝神社
公式群馬県 南高崎駅

社務所10:00-15:00(御朱印対応、御守りなど)

氏子以外の参拝
氏子以外の参拝
あり
歓迎
御朱印について
御朱印
あり

毎月の限定御朱印は、神社ホームページに掲載の対応日で頒布しています。
直書き、書置きの両方あり、毎月いろいろなご朱印があります!!

限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

神社前3台、神社裏20台駐車可能

小祝神社について

御朱印直書き対応日は小祝神社ホ-ムページをご確認下さい。ご参拝お待ちしております。

群馬県のおすすめ🌸

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おすすめの投稿

断捨離
2023年02月19日(日)
1284投稿

「おぼり」と読むんですね。
住宅街、幼稚園に隣接するコンパクトな神社ですが、お参りするにはとても充実していて感激しました。
社殿の色彩豊かな彫刻、種類豊富な御朱印、可愛らしい手水など、、もう一度行きたい神社です。

これからも訪れる人が楽しみで来られるように、いつまでも残したい神社です。

小祝神社の鳥居

鳥居前に4台程駐車できます。
社殿後ろにはもっと大きな駐車場があります。

小祝神社の本殿
小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)

可愛らしい手水

小祝神社(群馬県)

アップで!

小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)
小祝神社の本殿

色彩豊かな社殿

小祝神社(群馬県)

所々、剥げていて修復が必要です。
境内には修復の寄付をお願いする貼り紙がありました。なんとかしたいですね。

小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)

本殿の囲いの中は柑橘系の綺麗と瓦がありました。

小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)
小祝神社(群馬県)

こちらの御朱印代は社殿修復に寄付されます。

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惣一郎
2021年06月17日(木)
1269投稿

小祝神社(おぼり~)は、群馬県高崎市にある神社。式内社、上野国七之宮で、旧社格は郷社。江戸時代の名称は「小祝大明神」祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)。

創建は不詳。付近には三島塚古墳(4世紀から5世紀の円墳)があり、境内からも縄文時代前期の土器片が出土したことから、古くより当地に鎮座していたと推測されている。国史では平安時代880年に「小祝神」の神階昇叙の記載がある。927年の延喜式神名帳では「上野国片岡郡 小祝神社(振り仮名は「おはふり」)小」と記載されている。『上野国神名帳』などの古文書によると、上野国において4番目から7番目の序列の神社であったらしい。
江戸時代中期の1716年に宗源宣旨で神階が最高位の正一位を授けられている。翌1717年に高崎城主・間部詮房により現在の本殿を造営。なお、当寺の別当寺は、現在も隣接している石昌寺。明治時代に入り、1872年には近代社格制度の郷社に列し、1909年には神饌幣帛料供進社に定められた。

当社は、JR高崎線・北陸新幹線・高崎駅の南西2kmの住宅街の中にある。敷地に幼稚園を併設しているためか、旧郷社にして社殿はそれなりに大きいが、境内は広くない。

今回は、上野国の式内社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中、自分以外に参拝者はいなかった。

小祝神社の鳥居

境内全景。鳥居、社殿は南向きに建っている。<社号標>は2種類、新しいものが敷地外、古いものが敷地内に立っている。

小祝神社の鳥居

境内入口の<鳥居>。

小祝神社(群馬県)

鳥居をくぐったところ。境内奥の西側は保育園になっている。

小祝神社の本殿

参道をさらに進む。

小祝神社の手水

一段上がると右側に<手水舎>。

小祝神社の本殿

境内はさらにもう一段上がる。

小祝神社の本殿

<拝殿>全景。社殿は江戸時代中期の1720年に竣工。褪せた薄緑いろの銅板葺の屋根と、ビビッドな朱色のコントラストが美しい。

小祝神社の本殿

<拝殿>正面。扁額には<正一位 小祝大明神>の文字。正面の梁などには、彫刻が彩色されている。

小祝神社の本殿

<社殿>全景。拝殿、本殿の大きさのバランスが良い。

小祝神社の本殿

本殿裏の色彩豊かな彫刻。彫刻はパネルをはめ込む形になっており、群馬県内最古とのこと。本殿は三間社入母屋造。

小祝神社の自然

本殿の後ろ側、透塀の中に、おそらく昔の御神木の切株。

小祝神社の建物その他

社殿の右側に石碑群。<地神>、<猿田彦大神>などの文字が見える。

小祝神社の建物その他

拝殿から見て左前にある<神楽殿>。

小祝神社の建物その他

入口の鳥居付近に戻って、境内東側に建つ<社務所・授与所>。御朱印はこちら。なお参拝時、<社頭対応時間、10:00~15:00>との張り紙がされていた。また、授与所には2種類の御朱印のサンプルがあって、<本日(10:00~日没)はこの二つの書置き>との記載があった。

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歴史

【主祭神】少彦名尊(すくなひこなのみこと)
群馬県内にある延喜の格式に記載のある十二の神社のうち、七之宮とされている。合祀されている祭神は、速玉男命・大日孁命・五十猛神・健御名方神・大國主神・誉田別命・伊弉册命・宇氣母智神・倉稲魂神・大名持神・大山祇命・八衢姫命・菊理姫命・軻遇突智命・八衢彦神・久那止神・市杵嶋姫命・事解男命・素盞鳴命・菅原道真公・藤原家隆卿の二十一柱。
 旧社格は郷社。ご神紋は「三つ巴」。近くを流れる烏川にかかる橋が聖石橋で、烏川の中に、「聖石」「赤石」「川越石」の三石があるといい、石と関係の深い神社であることがわかる。
 『三代実録』の元慶四年(八八〇年)五月二十五日条に、「正五位下、小祝神社」とある。『上野国神明帳』には、「正一位小祝大明神」とあり、群馬県西郡に「息災寺小祝明神」の記載があることから小祝神を奉斎する氏族は国府官人になったと見られ、先の「息災寺小祝明神」は、国府近くに建立された息災寺に氏神として当社から勧請されたものと推測される。
 延長五年(九二七年)成立の『延喜式』神名帳では上野国片岡郡に「小祝神社」と記載され、式内社に列している。尚、同帳では当時の読みとして「オハフリ」と振られている。「ハフリ」は、神に人間の言葉を告げることをいい、転じて神祇官の役職名になった。
現在の主要社殿は本殿・幣殿・拝殿から成り、これらが一体となった形式である。ただし、幣殿・拝殿は本殿よりも後の造営になる。現本殿は江戸時代の正徳三年(一七一三年)に高崎城主であった間部越前守詮房(まなべえちぜんのかみあきふさ)による造替で、享保二年(一七一七年)に棟上げされた。
形式は三間社入母屋造で、側面も三間からなり、正面には向拝三間を付す。屋根は、当初は桧皮葺または柿葺であったと見られるが、現在は銅板葺である。本殿内部は外陣(手前二間)と内陣(奥一間)に分かれ、内陣には厨子が安置されている。
この本殿は、高崎市の神社本殿としては最古であるほか、その背面に嵌め込まれた彫刻パネル(群馬県最古例)が類例の年代判定の指標にもなるとして、棟札・奉納額・寄進銘とともに高崎市指定重要文化財に指定されている

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小祝神社の基本情報

住所群馬県高崎市石原町1247
行き方

高崎線高崎駅から車で10分位
バス 高崎駅西口7のりば南陽台線 南陽台3丁目行 小祝神社で下車

アクセスを詳しく見る
名称小祝神社
読み方おぼりじんじゃ
通称おぼりさま
参拝時間

社務所10:00-15:00(御朱印対応、御守りなど)

参拝にかかる時間

20分

参拝料

無料

トイレあり
御朱印あり

毎月の限定御朱印は、神社ホームページに掲載の対応日で頒布しています。
直書き、書置きの両方あり、毎月いろいろなご朱印があります!!

限定御朱印なし
御朱印帳なし
メールアドレスinfo@obori-jinja.com
ホームページhttps://www.obori-jinja.com
SNS

詳細情報

ご祭神「主祭神」少彦名尊(すくなひこなのみこと)
「合祀されている祭神」速玉男命・大日孁命・五十猛神・健御名方神・大國主神・誉田別命・伊弉册命・宇氣母智神・倉稲魂神・大名持神・大山祇命・八衢姫命・菊理姫命・軻遇突智命・八衢彦神・久那止神・市杵嶋姫命・事解男命・素盞鳴命・菅原道真公・藤原家隆卿の二十一柱
創建時代1717年 享保2年
本殿三間社入母屋造
文化財

本殿が高崎市指定の重要文化財

ご由緒

【主祭神】少彦名尊(すくなひこなのみこと)
群馬県内にある延喜の格式に記載のある十二の神社のうち、七之宮とされている。合祀されている祭神は、速玉男命・大日孁命・五十猛神・健御名方神・大國主神・誉田別命・伊弉册命・宇氣母智神・倉稲魂神・大名持神・大山祇命・八衢姫命・菊理姫命・軻遇突智命・八衢彦神・久那止神・市杵嶋姫命・事解男命・素盞鳴命・菅原道真公・藤原家隆卿の二十一柱。
 旧社格は郷社。ご神紋は「三つ巴」。近くを流れる烏川にかかる橋が聖石橋で、烏川の中に、「聖石」「赤石」「川越石」の三石があるといい、石と関係の深い神社であることがわかる。
 『三代実録』の元慶四年(八八〇年)五月二十五日条に、「正五位下、小祝神社」とある。『上野国神明帳』には、「正一位小祝大明神」とあり、群馬県西郡に「息災寺小祝明神」の記載があることから小祝神を奉斎する氏族は国府官人になったと見られ、先の「息災寺小祝明神」は、国府近くに建立された息災寺に氏神として当社から勧請されたものと推測される。
 延長五年(九二七年)成立の『延喜式』神名帳では上野国片岡郡に「小祝神社」と記載され、式内社に列している。尚、同帳では当時の読みとして「オハフリ」と振られている。「ハフリ」は、神に人間の言葉を告げることをいい、転じて神祇官の役職名になった。
現在の主要社殿は本殿・幣殿・拝殿から成り、これらが一体となった形式である。ただし、幣殿・拝殿は本殿よりも後の造営になる。現本殿は江戸時代の正徳三年(一七一三年)に高崎城主であった間部越前守詮房(まなべえちぜんのかみあきふさ)による造替で、享保二年(一七一七年)に棟上げされた。
形式は三間社入母屋造で、側面も三間からなり、正面には向拝三間を付す。屋根は、当初は桧皮葺または柿葺であったと見られるが、現在は銅板葺である。本殿内部は外陣(手前二間)と内陣(奥一間)に分かれ、内陣には厨子が安置されている。
この本殿は、高崎市の神社本殿としては最古であるほか、その背面に嵌め込まれた彫刻パネル(群馬県最古例)が類例の年代判定の指標にもなるとして、棟札・奉納額・寄進銘とともに高崎市指定重要文化財に指定されている

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