がんじょうじ|真言宗智山派
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岐阜市にある願成寺にお参りしました。
十一面観世音菩薩を御本尊とする真言宗智山派の寺院で、美濃四国第19番、美濃西国三十三観音霊場第16番札所となっています。
山門を横目に案内板を見て本堂へ進みますが駐車場がわからず、坂道を少し行くと駐車スペースがありそこに止めて、境内に入りお参りして、山門へ戻ってから、くぐり(順序が反対😢)それから納経所へ行くと駐車場がありました。私がとめた場所は寺院の駐車場ではなかったけど、まっいいかです。境内には、樹齢1200年を超える桜の木があり、八重咲きで、花弁が20~30枚と多く、山桜が変化したものと言われ、国の天然記念物に指定されています。中将姫が、病で倒れた時願成寺に安置されている観音菩薩に祈願して回復したことから、女性の保護を祈って1本の桜を植えられたという伝承があります🌸
歴史は、美濃の豪族、村国男依が天武天皇より賜った観音小像と仏舎利を芥見の里に堂宇を建て安置し山間堂と呼びました。
養老5年(721年)、越前の泰澄という高僧が、山間堂を現在の地に移し寺を建て、聖武天皇から『如意山 願成寺』という勅号を賜り、十一面観世音菩薩を造って、観音小像と仏舎利を胎内に収め本尊としました。その後、幾度の兵火に遭い荒廃しましたが、承応年中(1653年頃)、神光寺(関市)の僧・宥遍上人が再興しました。
山門 両脇には木造仁王尊(岐阜県指定重要文化財)が・・圧倒されます
山門横の道路を少し進むと案内板があります
手水舎
本堂
池 弁天堂 左側には稲荷神社があります
鐘楼堂と中将姫誓願桜
玄関横に納経所がありチャイムを鳴らして対応していただきました 駐車場はこの前にあります
御朱印 美濃新四国の御朱印をいただきました
真言宗智山派の寺院。672年の壬申の乱にて大海人皇子の勝利に貢献した美濃国の豪族、村国男依が、大海人皇子から授かった観音像を祀ったのが最初。
境内にある『中将姫誓願桜』は天然記念物である。平安時代初期に中将姫が病気の治癒をこの寺で祈り、平癒したためにこの桜を植えたという伝説がある。
本日はご住職が2件の葬儀に出かけ不在のため、留守番?ご住職のお母様?が御朱印を対応頂きましたが、書き置き御朱印が見つかりませんでした。時間を改めて伺いご住職に丁寧に直書き対応頂きました🙏
山門?
木造仁王尊
大きな鞋もありました。
鐘楼
本堂
中将姫誓願桜
途中に美味しそうな蕎麦屋さんが……
名称 | 願成寺 |
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読み方 | がんじょうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 058-243-2154 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://ganjouji.wixsite.com/ganjouji |
SNS |
巡礼の詳細情報
美濃四国 第19番 | 御本尊:十一面観世音菩薩 |
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美濃西国三十三観音霊場 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
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ご由緒 | 弘文元年(672)に起こった壬申の乱で功績をあげた美濃の豪族、村国男依が、天武天皇より賜わった、高句麗伝来の観音小像と仏舎利を芥見の里に堂宇を建てて安置し、山間堂と呼んだ。養老5年(721)、越前の国から泰澄という高僧が訪れ、山間堂を現在の願成寺のある場所に移して寺を建て、大洞山清水寺と称した。聖武天皇の御代になって、大仏の鋳造が計画されたとき、鋳造の技術を持った仏師を探し出すよう命ぜられた役人が、大洞山清水寺(願成寺)を訪れて参篭し、観世音菩薩に祈りを捧げたところ、夢に観世音菩薩が現れて、日野金丸という仏師を探し出すことが出来た。やがて大仏が完成し、天皇は大変感謝なさって、大洞山清水寺に、改めて「如意山願成寺」という勅号を下さり、1メートルほどの十一面観音像を造って、今まで祀っていた観音小像と仏舎利をその胎内に収め、これを本尊として七堂伽藍を造営した。弘仁5年(814)、弘法大師が関東の方へ行かれる途中に願成寺に立ち寄られた。しばらくご滞在の間に、金剛界大日如来の像と、ご自身の像を作って、寺に納められた。その後、何度かの盛衰を繰り返し、室町時代になると、幸いに土岐美濃守の祈願所となり、土岐政房が、舎弟長山左京の子、長山太郎の家臣である桜井一角に寺の復興を命じ、やがて昔日の繁栄を取り戻した。永禄10年(1567)織田信長が稲葉山城を攻めた時、戦に負けた斉藤竜興の兵隊の一部が願成寺に逃げ込んだため、それを取り囲んだ信長の軍隊に焼かれて、寺は本堂一つを残して七堂伽藍も下寺の12坊も全部が灰になってしまった。信長の焼き討ち後、しばらく住む僧も無く、寺は荒れるに任せていたが、承応年中(1653年頃)下有知(第24番霊場)の神光寺という寺の僧で、宥遍上人という人が来て寺を再興した。この宥遍上人が願成寺の中興の祖で、現願成寺の初代の住職とされている。元禄2年(1689)、第2世の時、願成寺は新義真言宗智山派の寺となった。 |
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