臨済宗妙心寺派
弘誓寺のお参りの記録一覧
山県市にある弘誓寺(ぐせいじ)にお参りしました。
美濃新四国 71番札所、美濃三十三観音霊場 20番札所です。
聖観音を御本尊とし、臨済宗妙心寺派の寺院。
山の麓にあり、本堂までは結構な坂道、階段を登ります。3年前に美濃三十三観音霊場巡りをして参拝したときは、あまり「しんどい」とは思わず、スタコラサッサ・・でしたが、それから3年、何があったのか「あ~しんど」でした😔トホホですが、暑さの中でも凜とした空気でシャキッとして参拝して良かったと思いました。
歴史は、もと方県郡安食村にあつた聖徳太子作と伝わる聖観世音菩薩を、土岐成頼が、文政2年(1445年)に現在の地へ移し、天台宗の寺院として開かれ』、その後斎藤道三により焼かれたものの本尊の聖観世音菩薩は無事で、観音像を祀るための草庵が結ばれ、寛文2年(1649年)に月庭和尚により再興され、臨済宗妙心寺派の寺院となり現在に至っています。
ここからスタート! 左側から登りました 右側は多分階段がない坂道だと思います
チョット暗め、ひんやり感があり栗、ドングリなどが落ちていました 熊が出てきたらどうしょう😰 と一瞬びびりましたが、ないない! それはない!と笑いながら登りました
中間地点でほっとひと息 本堂が見えてあと少し
中間地点にある池 金魚?が仲良く泳いでいます
中間地点に手水舎 水がポタポタと落ちていました
本堂
薬師堂・十王堂
鐘楼堂
納経所 左側に鐘楼がつり下がっていました
納経所で書き置きの御朱印をいただきました
美濃三十三観音霊場第20番霊場。当山は、103代後花園天皇の文安2年の時、土岐成頼公により移された。本尊聖観世音菩薩は御長、三尺五寸、聖徳太子の作。
山深い所にある寺院です。階段もなかなか急で、恥ずかしながら息が切れました。
誰もみえず、心静かにゆっくりとお参りさせて頂きました🙏
以前の投稿者もコメントありましたが、読み方は「ぐぜいじ」です。
寺号標
由緒書き
山門
山門を潜ると池がありました
さあ、階段登りますよ❗
まだまだ階段続きます。
手水舎
少し寂れた感じでしたね😃
鐘楼
本堂
賓頭盧さま
十王堂と薬師堂
書置き御朱印①
書置き御朱印②
この中に御朱印料を入れました。
かわいい地蔵さまにほっこり😄
美濃西国三十三観音霊場 第10番の次は第20番の椎倉山 弘誓寺です。「ぐせいじ」と読みます。なんて偉そうに書いてますが「こうせいじ」と思っていました。
山県市に在る臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は聖観音菩薩です。秘仏であり、17年に1度の開帳だそうです。
他の地にあった聖観音菩薩(聖徳太子作と伝わるらしい)を1445年に現在の地に移し、天台宗の寺院として創建。斎藤道三により建物は焼かれたが聖観音菩薩は無事だった。その後の1649年に再興され、臨済宗に改宗し現在に至るとの事です。
山門へ続く参道の入口に2本の石柱と石灯籠があり、そこに「観音堂は上 駐車場あり」と案内看板がありましたので、石灯籠の右側の細い道を少し上がると山門の横に10台位停めれる駐車場がありました。
山門から本堂に続くやや長目の石段があり、約100段上がると本堂、右側に薬師堂と十王堂(2つのお堂は実は1つの建物で仕切り無しでした。)、左側に鐘楼があります。
2本の石柱がある所の左側にある庫裡の中に朱印が置いてあり、セルフで納経帳に押印しました。
尚、駐車場は先に記載した通りです。
御朱印
石柱
先の暗い所から上り坂で山門に続く。
石灯籠の右側が駐車場へ向かう道。
駐車場に立っている紹介板
山門
本堂に続く石段
手水
本堂
薬師堂、十王堂
鐘楼
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