はくさんじんじゃ
白山神社のお参りの記録一覧
大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれている明智光秀が崇敬した神社。
隣には光秀公のお墓があります。
本能寺の変の後も実は生き延びてい明智光秀が、影武者として散った荒木山城守行信への深い感謝から「荒深」をとり「荒深小五郎」として暮らしたとされています。
この辺りに住んでいる私の友人も荒深さんでした。
ガイドの方が境内におられて、光秀公の母が建立した阿弥陀堂を見せて下さり色々と説明してくださいました。
帰蝶の役を案じている川口春奈さんが描いた絵馬もありました。
駐車場に7~8台くらい停められます。この道の向こうが神社とお墓です。
国道256号をくぐるトンネル(徒歩)
激混みする時は整理する人がここで座っているのかもしれません。
橋を渡って正面が神社、左へ行くとお墓です
<社号標>
<鳥居>
<手水舎>
<参集殿>
<参集殿内部>
この奥に本殿があるそうですが、この日は諸事情で断念
<阿弥陀堂>参集殿の隣にあります。中には資料がいっぱい展示されてて、ここに写っているおじさまが説明してくださいました。
<阿弥陀堂の由来>
<阿弥陀堂の由来>よく読めるように写し書いたものが貼ってありました
阿弥陀堂の中には資料がいっぱい。奥には光秀公の位牌もあります。
<絵馬>帰蝶役の川口春奈さんが描いたものが展示されています。
<うぶ湯の井戸>
<桔梗塚の説明>光秀公のお墓は家紋が桔梗という事で「桔梗塚」と言うそうです
荒深〇〇さんという名前がずらりと並んでいます
<明智光秀のお墓>
桔梗塚へ行く手前の桔梗橋の横に桔梗が咲いていました
明智光秀公は土岐氏に仕え、その後織田信長に仕えた武将である以前のことは、清和源氏土岐氏の流れを組む美濃国守護土岐氏の支流の家系であることのほかは実はあまり知られておらず、所縁の地がたくさんあります。うちの一つが山県市中洞地区で、ここで産まれたという伝承が残っています。
本能寺の変の後、山崎の戦いで敗れ討たれたとされる明智光秀公は実は影武者で、生き残って関ヶ原の戦いまで住んでいたとされています。
山崎の戦いで影武者となった武将、「荒」木山城守行信に恩を「深」く感じ、荒深小五郎と名乗っていたそうです。
その後、東軍に参加するために関ヶ原に向かう途中、根尾川の洪水に巻き込まれ溺死してしまいました。従者が遺品を持ち帰りこの地に墓を立てたということです。
家紋が桔梗の花ということで、桔梗塚といわれています。
入口
由緒書き
産湯の井戸
他に明智光秀公が産まれた庵が山中にあるそうです!
拝殿…だと思います💦
参集殿内部
光秀公のお墓に続く桔梗橋
階段を登ると…
光秀公のお墓がありました🙏
2020大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公 明智光秀公の所縁の地として手を挙げている山県市のお墓(桔梗塚)に参拝に。
本能寺の変の後、小栗栖で討たれたのは影武者。光秀公はその後も生き延び、関ケ原の合戦で東軍に従軍しようとして…という伝説です。
白山神社 社標
鳥居の奥にひっそりと
明智光秀公 絵馬
参集殿の中に…
光秀公所縁の産湯の井戸
光秀公の墓へ続く道のりに幟
説明文
明智光秀公の墓(桔梗塚)
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