ゆうせんじ|臨済宗妙心寺派|龍興山
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楽しみ方祐泉寺のお参りの記録一覧

「中濃八十八」第70番札所です。
1474年 加茂郡和知村出身で大仙寺を開山した東陽英朝が、当地に涌泉庵という草庵を結びました。
観音堂は、東陽英朝の夢枕に「木曽川の松ヶ瀬に沈む聖観音を探し揚げて祀られよ。木曽川の安全と火伏の守りとならん」とのお告げを受けて、村人が早瀬の水から引上げて堂宇を建立し、瀧場大悲閣と称し境内に祀りました。
後に近隣で大火が起きた際、この観音像が祀ってある堂宇まで火が迫ると火勢が衰え鎮火したため、霊威ある観音像として滝場観音と呼ばれています。
お釈迦様の花まつりが行われていました。
御朱印は庫裡で頂きました。







美濃西国三十三観音霊場 7番目の参拝は美濃加茂市にある 第27番札所龍興山祐泉寺にお参りしました。
聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院です
木曽川の堤防の下にあり こちらも境内は広く 地理学者志賀重昴の碑、槍ヶ岳を開山した播隆上人、坪内逍遙、北原白秋などの歌碑が多くあります
エッ?どんな関係なのだろう・・調べていません・・😢でも 何か関係はあるようですね
歴史は、文明6年(1474)東陽英朝禅師がこの地に来て「ゆなせ」と称した一草庵を「祐川庵」と命名し修法の道場と定めたのが始まりとされています。
以後、八百津大仙寺の末寺とし、在地代官役として年貢の徴収にあたりました 寛永5年(1628)庵号を改め法地の寺に昇格。本尊に聖観世音菩薩を祀り、龍興山祐泉寺と号して現在に至っています。

山門と寺号標

裏側にある寺号標 歴史ありますね

北原白秋の歌碑

観音堂

善の綱

御朱印

美濃西国三十三観音霊場 第27番札所 祐泉寺
臨済宗妙心寺派の禅寺で龍興山祐泉寺と称する。
凡そ今より五百余年前、文明六年(1474)東陽英朝禅師(大道真源)巡錫の途次、この地に来り「ゆせな」と称した一草庵を「祐川庵」と命名、本尊に地蔵菩薩を迎えて修法の道場と定めたのを始めとする。以後、大仙寺(八百津細目)末寺に在り同寺領太田郷賀茂県主神社神田の経営を任命され、在地代官役として年貢の徴収にあたる。その後、約百数十年を経て寛永五年(1628年)庵号を改め法地の寺に昇格。第1世に広雲和尚(関市梅龍寺第十世)を勧請開山に迎え、その弟子徹禅和尚が創建開山した。
以後本尊に聖観世音菩薩を祀り龍興山祐泉寺と号して現在に至る。










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