みののくにいちのみや なんぐうたいしゃ
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美濃國一宮 南宮大社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月07日(土)
参拝:2024年8月吉日
大垣市のお隣りの垂井町へ足を伸ばし、南宮大社さんに参拝しました。
美濃国の一の宮です。
社伝によると、金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)は、初代神武天皇東征の際、八咫烏(やたがらす)をたすけて大いにお力を顕わし、不破郡府中の地にお祀りされることとなりました。
後に第十代崇神天皇の御代に現在の地に鎮座されました。
古くは「仲山金山彦神社」と称されましたが、国府から南方に位置するため「南宮大社」と云われる様になったと伝えられています。
金山彦大神は、お生まれになられた姿が流鉄に似ていたことから、鉄鉱・鉱山にまつわる神として人々の崇敬を集めるようになったといわれており、現在でも南宮大社は、金属の総本宮として全国の金属業・鉄鉱業・鍛冶の皆さまから厚い信仰を集めています。
現在の建物は、1600年の関ヶ原合戦の兵火によって焼失したものを、1642年に春日の局の願いにより三代将軍徳川家光公が再建したものです。
この日の最高気温は37℃を越えてましたが、奉納された風鈴の音色が涼やかでした🎐
また宝物殿も開殿してました(拝観料100円)。
空調が効いてなくて、用意してくださった団扇を片手に拝観しましたが(笑)
とても丁寧にご説明くださり勉強になりました!
白玉椿の花や南宮金山市も気になるので、是非また参拝したいです。
美濃国の一の宮です。
社伝によると、金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)は、初代神武天皇東征の際、八咫烏(やたがらす)をたすけて大いにお力を顕わし、不破郡府中の地にお祀りされることとなりました。
後に第十代崇神天皇の御代に現在の地に鎮座されました。
古くは「仲山金山彦神社」と称されましたが、国府から南方に位置するため「南宮大社」と云われる様になったと伝えられています。
金山彦大神は、お生まれになられた姿が流鉄に似ていたことから、鉄鉱・鉱山にまつわる神として人々の崇敬を集めるようになったといわれており、現在でも南宮大社は、金属の総本宮として全国の金属業・鉄鉱業・鍛冶の皆さまから厚い信仰を集めています。
現在の建物は、1600年の関ヶ原合戦の兵火によって焼失したものを、1642年に春日の局の願いにより三代将軍徳川家光公が再建したものです。
この日の最高気温は37℃を越えてましたが、奉納された風鈴の音色が涼やかでした🎐
また宝物殿も開殿してました(拝観料100円)。
空調が効いてなくて、用意してくださった団扇を片手に拝観しましたが(笑)
とても丁寧にご説明くださり勉強になりました!
白玉椿の花や南宮金山市も気になるので、是非また参拝したいです。
すてき
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