えんこうじ|天台宗
円興寺のお参りの記録一覧
西美濃三十三霊場 第三十二番札所。延暦9年(790年)3月、最澄が大谷の里(青墓)の大炊氏の帰依を得て、山頂に寺を創建し、聖観音立像を本尊として円興寺と号した。その当時の金堂は七間四面の荘厳なもので、その他坊舎末寺等百余ヵ寺、寺領五千俵と伝えられる。
天正2年(1574年)織田信長に焼かれ、田之堂を経て万治元年(1658年)この地に移し建てられた。
~当寺由緒書き より
飛騨 美濃 紅葉三十三選の地 だけあって紅葉は見応えがありました🍁
参拝者の方もチラホラみえましたが、心静かにゆっくりお参りができました。
寺標
平治の乱で敗れ落ちていく源義朝
武門の習いとはいえ、息子、朝長16歳の死はショック過ぎますね。
本堂
鐘楼
御朱印は書置きでした
6~7台程駐車することができます。
岐阜県西濃地区寺院巡りの2寺目は大垣市に在る篠尾山 円興寺です。
大垣市の最北、北隣りの揖斐郡池田町との市境近くに在ります。
天台宗で、本尊は聖観音菩薩(重文指定)。
伝えによれば、790年に最澄がこの地を訪れた際に聖観音菩薩像を一刀三礼して彫り、本尊として安置したことが始まりとの事です。
七堂伽藍を備え、5坊36ヶ院、末寺125ヶ寺と寺勢があったそうだが、1574年に織田信長の兵火により焼失。再建されるも落雷により再度焼失。1658年に現在地に再建し、今に至ります。
尚、源朝長の墓は現在地に移る前の伽藍跡地の近くにあります。
10台程度停めれる駐車場に車を停め、参道を少し行くと二股があり、そのまま石段を上がると本堂前に、右側に進むと門があり庫裏があります。庫裏へ行き、拝観予約した者である旨を伝えたところ上がらせて頂き、住職に案内されて庫裏の中を抜けて本堂へ。(渡り廊下で本堂と繋がっています。以前は3m位の積雪があり、冬季の毎日のお勤めが大変だったからではないかと思います。)
本堂須弥壇に手を合わせましたが、厨子に仏像がいらっしゃらない様な・・・別のお堂(収蔵庫)に移してありました。厨子の周りに四天王像等の仏像がありましたが、現在地に移した江戸時代の作ではないかとの事でした。
本堂を出て屋根続きの収蔵庫へ行き、本尊・聖観音菩薩と対面です。
平安時代初期の作で高さ約1.4m、しっかりとした目鼻立ちで男性的、衣文も綺麗に彫られています。いい仏像です。(持物、光背は後補)
御朱印を頂いてから庫裏を出て、戻って石段を上がって本堂を外側から眺めました。
樹齢300年を越えるデカいくすの木、イチョウ、もみじがあります。紅葉はもう終わり近かったです。
御朱印
源朝長(源頼朝の異母兄)、他一族の位牌を本堂に安置
右手に進むと庫裏、正面の石段を上がると本堂
庫裏入口の門
庫裏
鐘楼
本堂
本尊・聖観音菩薩(ネットから転載)
不動堂、地蔵堂
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