けごんじ
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華厳寺ではいただけません
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華厳寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年05月06日(月)
参拝:2024年4月吉日
初めて岐阜の地に足を延ばせました。岐阜県のみなさーん こんにちは。
西国三十三か所巡り 33番札所の華厳寺です。と言っても 吉願というわけではありません。まだ道半ばですが 岐阜県に来たかったのです。
兵庫県からだと GWの渋滞も相まって 車で3時間半ほどかかりました。遠かったのですが 楽しみが勝っていました。今回は一人旅です。
市営駐車場に車を停め 結構長い参道を歩くのですが 道の両側にはお土産屋さんやお食事処など お店が多くありました。時間が早かったからか 半分ぐらいも開いていなかったのが残念です。
山門をくぐると 山寺らしくひんやりとした空気が心地よく 多くの参拝者と一緒に境内を巡りました。
いいですね こういう雰囲気 私は大好きです。
途中に境内塔頭もいくつもあり(別投稿します) 見るところがたくさんありました。
とても見事な本殿は 荘厳な雰囲気を醸し出していますし 多くのお堂にも歴史を感じます。
さすが霊場巡りの吉願のお寺だと思いました。
満願堂まであるのにはびっくりでした。
「満願できていないのにすみません」でした。
奥の院があるということで(知らなかったです) そちらにも足を進めましたが これが大変でした。(別投稿します)
御朱印を拝受する際 「3つあります」と言われ 御朱印帳を見ると 確かに華厳寺の欄が3ページあったのです。不勉強で恥ずかしかったです。
あまりに見どころ満載だったので 写真撮りまくりでした。
重くなるので パート1・2に分けさせてください。
山号は谷汲山(たにぐみさん) 宗旨は天台宗 ご本尊は十一面観音(秘仏) 創建年は延暦17年(798年) 開山は豊然上人 開基は大口大領です。
西国三十三所第33番・東海白寿三十三観音霊場第33番・東海三十六不動尊霊場第33番の札所なのですが すべて33番というのが面白いです。
由緒については
華厳寺は延暦17年(798年) 会津の郡司で黒河郷(現在の福島県会津若松市)の大口大領なる人物によって創建されたという。
『由来記』によれば 大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立した。
彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが 途中 美濃国の赤坂(現在の岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。
赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け 大口大領は同地に草庵を建立。
延暦末年に 当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立した。
西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し 当寺を第三十三番札所の満願所と定め 禅衣(笈摺) 杖 および三首のご詠歌を奉納したと伝え 鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。
なお、西国三十三所巡礼について触れた最も古い史料である『寺門高僧記』所収の「行尊伝」および「覚忠伝」では 第三十三番の霊場は三室戸寺になっており 園城寺(三井寺)の僧・覚忠が三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には 華厳寺は満願所ではなかった。
とありました。
西国三十三か所巡り 33番札所の華厳寺です。と言っても 吉願というわけではありません。まだ道半ばですが 岐阜県に来たかったのです。
兵庫県からだと GWの渋滞も相まって 車で3時間半ほどかかりました。遠かったのですが 楽しみが勝っていました。今回は一人旅です。
市営駐車場に車を停め 結構長い参道を歩くのですが 道の両側にはお土産屋さんやお食事処など お店が多くありました。時間が早かったからか 半分ぐらいも開いていなかったのが残念です。
山門をくぐると 山寺らしくひんやりとした空気が心地よく 多くの参拝者と一緒に境内を巡りました。
いいですね こういう雰囲気 私は大好きです。
途中に境内塔頭もいくつもあり(別投稿します) 見るところがたくさんありました。
とても見事な本殿は 荘厳な雰囲気を醸し出していますし 多くのお堂にも歴史を感じます。
さすが霊場巡りの吉願のお寺だと思いました。
満願堂まであるのにはびっくりでした。
「満願できていないのにすみません」でした。
奥の院があるということで(知らなかったです) そちらにも足を進めましたが これが大変でした。(別投稿します)
御朱印を拝受する際 「3つあります」と言われ 御朱印帳を見ると 確かに華厳寺の欄が3ページあったのです。不勉強で恥ずかしかったです。
あまりに見どころ満載だったので 写真撮りまくりでした。
重くなるので パート1・2に分けさせてください。
山号は谷汲山(たにぐみさん) 宗旨は天台宗 ご本尊は十一面観音(秘仏) 創建年は延暦17年(798年) 開山は豊然上人 開基は大口大領です。
西国三十三所第33番・東海白寿三十三観音霊場第33番・東海三十六不動尊霊場第33番の札所なのですが すべて33番というのが面白いです。
由緒については
華厳寺は延暦17年(798年) 会津の郡司で黒河郷(現在の福島県会津若松市)の大口大領なる人物によって創建されたという。
『由来記』によれば 大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立した。
彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが 途中 美濃国の赤坂(現在の岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。
赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け 大口大領は同地に草庵を建立。
延暦末年に 当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立した。
西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し 当寺を第三十三番札所の満願所と定め 禅衣(笈摺) 杖 および三首のご詠歌を奉納したと伝え 鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。
なお、西国三十三所巡礼について触れた最も古い史料である『寺門高僧記』所収の「行尊伝」および「覚忠伝」では 第三十三番の霊場は三室戸寺になっており 園城寺(三井寺)の僧・覚忠が三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には 華厳寺は満願所ではなかった。
とありました。
参道手前の山門?車から撮りました
参道の両側にはお店がいっぱい
仁王門
石柱
かなり立派です
よく見かけるのですが これ何というのでしょうか
境内参道
境内案内図 広すぎる
地蔵堂
金ぴかのお地蔵様
三十三度石
まだまだ本堂は見えません
境内絵図 でかい
石仏も多い
本尊御杖の白藤
十王堂
羅漢堂
境内には川も流れています
魚藍観世音菩薩
石像が多くあります
手水は観音様
香炉
由来 とありますが読めません
内仏客殿へ続く階段
内仏客殿
内陣
庫裡
大師堂
経堂
英霊堂
ようやく本堂が見えてきました
菩薩様が2体
三十三所堂
扁額
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2021投稿
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