真宗大谷派
養老寺のお参りの記録一覧
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伝承によれば、奈良時代の元正天皇の御代、源丞内(養老孝子伝説の実在した人物、後の美濃守)が開いたという。当時は法相宗の寺院であった。天平年間、養老山麓は法相宗修業地となり、大規模な伽藍が造られた。
~ウィキペディアより抜粋
運良く、ご住職が戻ってみえ、直書きの御朱印を頂くことが出来ました。機嫌が悪かったのか、態度が横柄でビックリしましたが、これも修行だと自分に言い聞かせました🙏
お寺は貼り紙にもありましたが、檀家が少なく、手入れが行き届いておらず廃れた感じが残念でした。
寺標
手水舎
鐘楼
本堂
後水尾天皇宸翰懐紙?
孝子伝説の説明
御朱印(直書き)
【おまけ】
久しぶりに養老の滝も見てきました。紅葉はほぼ終了でした😌
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今日は岐阜県西濃地区の寺院を巡りました。
先ず1寺目は養老郡養老町に在る滝寿山 養老寺です。併せて、養老公園の紅葉も綺麗に見れたらいいなあと思いながら。(「養老」の文字が連発です。)
真宗大谷派で、本尊は十一面千手観音(重文指定)。
717年(霊亀3年)に元正天皇がこの地に訪れ、痛む所を洗ったら治ったため、老を養う水と誉めた称え、年号を養老元年に改めた。翌、養老2年に七堂伽藍を建立。源丞内を開基として勅願所となった。鎌倉初期に天台宗に改宗し、十一面千手観音を本尊とした。1561年に織田信長の兵火により焼失したが、1590年に大垣城主の伊藤長門守が再建。関ヶ原の戦いの時に徳川家康が先勝祈願し、勝利したため太刀を寄贈した(現存、重文指定)。この頃に真宗大谷派に改宗。残念な事に豪雪による屋根の損傷や老朽化により2014年に本堂を取り壊したため、現在は明王堂のみとなりました。(収蔵庫はある)
養老公園の駐車場に車を停めると鐘楼が目に入ります。養老寺の鐘楼です。手水で身を清めて明王堂へ。(数年前までは明王堂の右側に本堂がありました。)明王堂には不動明王が祀られていますが、厨子の中にあって秘仏のため直接観ることはできません。手を合わせてから住職に拝観予約した者である旨を伝えて左側にある収蔵庫へ。(十一面千手観音や太刀等の文化財を拝観するには事前に予約が必要です。)
収蔵庫の扉を開けて頂きました。正面に本尊・十一面千手観音立像です。高さ約1m、天台宗に改宗した時の鎌倉時代作と伝わりますが平安時代後期作とされます。上品で気品と優しさが感じられます。右側のガラスケースには徳川家康寄贈の太刀と不動明王が持っていたとされる小剣が展示されていました。(以上の3点は重文指定)
御朱印を頂いてから、養老の滝へ向かいました。沢沿い(右岸、左岸の両側に遊歩道)に1km程度上がりますが、割と急な所もあり20分掛かって滝に着きました。帰り道に養老神社がありましたので折角なので参拝しました。
御朱印(浄土真宗は御朱印を書かないのが一般的ですが、こちらは西美濃三十三霊場の札所であり頂ける)
鐘楼
手水
不動堂
不動明王の厨子(不動明王は絶対秘仏)
収蔵庫
十一面千手観音(ネットから転載)
源丞内の墓
養老公園
養老の滝
養老神社
社殿
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西美濃三十三霊場 第二十五番 養老寺の御朱印です 今はお堂だけですが 御住職さんが見えました。観光シーズンやお天気の良い日にお見えになります 楽しい話をしてもらえますよ
西美濃三十三霊場 第二十五番の御朱印です
御住職に頂いた 写真で 解体される前の本堂です
今の写真です
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