しんふくじ|単立(真言宗)
真福寺のお参りの記録一覧
羽島市桑原町大須にある真福寺にお参りしました。
聖観世音菩薩を本尊とする真言宗の寺院で、美濃新四国第34番札所です。
ナビに誘導され、到着した所は、会社の駐車場?そこは、国土交通省出張所の看板が、そして見上げると、お堂の屋根らしきものが「あっちだ~ゴメンナサイ😣間違えました」と出て、ぐるりと回って無事到着!境内に駐車しました。
歴史は、1236年頃、観音堂が建立されたのが起源と伝えられます。北野山真福寺という大寺に発展しましたが、戦国時代に入ると次第に衰退し、1605年。木曽川の大洪水で堂塔はすべて流出しました。1612年、徳川家康の命令で、真福寺の一院である宝生院が名古屋城下に移転。その際、古事記や古典籍、絵画のほとんどが移動し、地名『『大須』も移動されました。その後、幾たびの洪水で荒廃しましたが、地元の人々に守られ続けられて、1964年、現在地に移転しました。
名古屋の大須観音が、羽島市から移転した寺院とは知りませんでした。初めて知りホントビックリ😆😮です。意外と知られていないのでは・・と思いますが??、トホホですね。
寺号標
本堂 両脇には円空仏が・・もちろん本物ではないと思いますが 円空上人の出生の地羽島ですね(郡上市美並という説も??)
本堂
地蔵尊
【岐阜県 人気寺社仏閣巡り】
真福寺(しんぷくじ)(大須観音)は、岐阜県羽島市桑原町大須にある寺院。
当寺は、建久年間(1190年~1199年)に土地の人々によりに中島観音堂が建立されたのが始まり。1324年に後醍醐天皇によりその地に北野天満宮が創建され、1333年に同社の別当寺として真福寺と、その塔頭・宝生院が創建され、摂津国の四天王寺の観世音菩薩を移して本尊としたとされる。のちに後村上天皇により伽藍が建立され勅願寺となり、3代目住職の任瑜法親王の時には寺領1万石、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃6か国の真言宗寺院335ヶ寺を末寺とした。戦国時代には、織田信長から寺領500石が寄進された。江戸時代に入り、1615年に徳川家康が僧・天海とともに当寺に来て蔵経を見て、その後犬山城主・成瀬正成に命じて宝生院を大須郷から名古屋城下に移転した。その後、当地村民が再び真福寺を建立したが、洪水で幾度か場所が変わり現在に至っている。
当寺は、名鉄羽島線・新羽島駅(東海道新幹線・岐阜羽島駅)の南方5kmの長良川東岸堤防脇にある。周囲は小さな住宅街で、境内は左隣の徳林寺と合わせても一般住宅3、4軒分程度と広くはない。由緒を考えると、名古屋を代表する大寺院の発祥元ということではあるが、現在の当寺を見る限り、その面影は感じられなかった。
今回は、旅行情報サイト「じゃらん」で、岐阜県の人気寺社仏閣No.2となっていたため参拝することに。参拝時は平日のお昼ごろで、けっこうな雨が降っていたこともあり、参拝者は自分以外にはいなかった。
※旅行情報サイト「じゃらん」での、岐阜県で人気のある寺社仏閣ランキングは、①千代保稲荷神社、②大須観音(真福寺)、③日枝神社(高山市)の順。
住宅街の狭い道に面した境内南端入口の<寺号標>。
境内に入って左側にある、きれいに並んだ石造群。
かつては、ばらばらの場所にあったのを集めたのかな。
<本堂>全景。屋根の瓦はなかなか立派。手前にちゃんと由緒書が立っている。
<本堂>正面。上部には味のある扁額。柱には「徳川家康ゆかり」の文字。
<本堂>内部。当寺の御朱印はあるようだが、ひとの気配はなかった。ゆえに未拝受。
賽銭箱脇のエキゾチックな仏像。個人的には南米テイストを感じる。(^_^;)
真福寺の左隣にある<徳林寺>。石碑には<大聖 不動明王>の文字。
<徳林寺>の本堂全景。
<徳林寺>の本堂正面。
本堂手前左側に建つ仏像。真福寺の仏像と同じ作者かな。
本堂手前右側に建つ仏像。印象に残る造形。(^▽^)/
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