りゅううんじ|曹洞宗|護國山
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龍雲寺の御朱印・御朱印帳
2体あり
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限定 | - | ||
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御朱印帳 | - | ||
参拝時間 | 9時〜16時 | ||
電話番号 | 058-243-2054 |
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美濃新四国57番札所、ぎふ七福神毘沙門天札所です。
創建不詳の真言宗高野山末の寺院として芥見北山に所在しましたが、天正年間に織田信長が美濃に侵攻した際 兵火に曝され荒廃したと伝わります。
江戸時代に入って外室祖教が龍泰寺18世長霊正鎮を開山として招き、曹洞宗の寺院となりました。
2世清岩禅師より現在地に移転されました。濃尾地震で被害を受けましたが復興を果たし、梵鐘は戦時供出によりいったん失われており、戦後新たに入手したものを用いています。
御朱印は納経所に置かれていました。
岐阜市にある龍雲寺におまいりしました。
大日如来をご本尊とする曹洞宗の寺院で、美濃新四国第57番札所、ぎふ七福神 毘沙門天の札所となっています。
山の麓に広がる大きな寺院で、納経所に入ろうとすると、ツバメが一羽長い廊下を自由に飛んでいました。窓が空いていてそこから入ってきたようです。しばらくして出て行ったようで姿は見えなくなりましたが、近くで稲刈りが終わるとよく入って来ると、住職の奥様?が話してみえました。ツバメさんまだ戻らないのですね。あまりの元気のよさにビックリしました😆
歴史については、創建不詳の真言宗高野山末の寺院として、岐阜市芥見北山に所在していましたが、天正年間に戦火にあい荒廃。その後龍泰寺(関市にある曹洞宗の寺院)の末寺となり、曹洞宗の寺院として復興し、二世清岩禅師により現在地に移転しました。
寺号標
鐘楼門 左側の道を行くと本堂があり、その前には駐車場があります
本堂
本堂前の七福神が迎えて下さっているようです
毘沙門堂、納経所
御朱印
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