臨済宗妙心寺派
広厳寺のお参りの記録一覧
山県市にある広巌寺(こうがんじ)にお参りしました。
薬師如来を御本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、美濃新四国 79番札所 美濃西国33観音 10番札所となっています。
境内はとてもきれいに整備されていて、緑豊かな中でゆっくりとお参りしました。(3年~4年前のお参りはあまりゆっくりしてはいけないという思いがあり、とにかく、お参りして御朱印頂いてと、何とこぜわしかったのだろう・・と反省😢)
歴史は、永暦年中(1160年~1161年)、文武に優れた藤原頼保が郡上の山奥に栖む大鷲を退治し、その功を称えて、鷲見姓と美濃北辺の領地をたまわり、領地を拡げたが、永正7年(1510年)、稲葉城守護代、斎藤利良に破れ自刃した。その後、二男直保と三男保光の兄弟は衣笠山に、鷲見頼保公をまつり、衣笠大権現と命名し、一宇を建立。歴代祖先を供養したのが広巌寺ということです。
駐車場の横にある鐘楼堂 開運の鐘とあります
山門
子育水子地蔵尊
本堂
本堂から見る庭園
本堂に準備してあります 美濃三十三観音はセルフでしたが、美濃新四国は印も押してありました
御朱印
数年前に「美濃三十三所」で伺いました。
「美濃新四国」第79番札所にも指定されています。
本尊は薬師如来。開山は淳岩、開基は鷲見直保・保光です。
永暦年中(1160~61)文武に優れた藤原頼保が、勅命により郡上の山奥に栖む大鷲を退治しました。
その功により鷲見姓と美濃北辺の領地をたまわりました。
第10世・保重の代に北野城(岐阜市)を築き、高富一帯をも掌中にしましたが、1510年稲葉城守護代・斉藤利良に敗れ自刃しました。
再起をかけた嫡男保定は討死、二男直保と三男保光は、無常を感じて衣笠山に始祖・郡上太郎武蔵権守藤原朝臣鷲見頼保公をまつり、衣笠大権現と命名しました。
御朱印は本堂内に置かれています。
美濃西国三十三観音霊場 第11番の次は第10番の法雲山 広厳寺です。
岐阜市の北側の山県市(ほぼ市境)に在る臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は薬師如来です。先の大龍寺から約2kmと近いです。創建は1520年頃との事です。
山門をくぐると綺麗に手入れされたお庭があり、右手に庫裡、左手に本堂があります。
本堂の真ん中に如来が祀られていますが、聖観音菩薩は恥ずかしながらわかりませんでした。(閉扉された厨子の中?)次回参拝する機会があれば確認したいと思います。
本堂の中に朱印が置いてあり、セルフで納経帳に押印しました。(下手くそ)
尚、寺院の周りに数台ずつ停めれる駐車場があります。
御朱印
石柱
山門
鐘楼
境内(庫裡と本堂)
本堂
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