ずいりゅうじ|臨済宗妙心寺派|金寳山
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楽しみ方金寶山 瑞龍寺のお参りの記録一覧

岐阜市にあるお寺です。
金華山の南西側麓にあります。
橿森神社から徒歩10分かかりませんでした。
金華山を調べていると こちらの瑞龍寺が出てくるほどの有名なお寺のようです。(知らなかった)
山門が本当に大きくて 本堂に向かって真っすぐ長い参道が伸びていました。
石柱にも新西国の札所が7つ彫られていて 塔頭のことか?と思いました。
規模が大きいことに期待して 山門をくぐりました。
参道を中心に左右には塔頭が並んでいました。
とりあえずすべての塔頭の山門が開いていましたので ほんの少し境内に入らせていただいて 写真を撮らせていただきました。
さていよいよ瑞龍寺です。
瑞龍寺の山門に柵があったのです。
「修行道場につき拝観はお断り致します」 ガーン!
「これより先 立ち入り禁止」 そっそうですかー!
こちらは御朱印をいただけると聞いて伺ったのですが 修行した方のみだったのでしょうか。
中途半端な下調べに反省!!
山門前で手を合わせ 少し写真を撮らせていただきました。
ネット情報です。
臨済宗妙心寺派の坐禅修行の出来る専門道場であり 雲水(禅の修行僧)の修行の場である。
山号は金寶山 宗旨宗派は臨済宗妙心寺派 ご本尊は薬師如来 創建年は応仁2年 1468年) 開山は渓宗頓 開基は斎藤妙椿 中興年は文化3年(1806年) 中興は隠山惟琰です。
元々 この地には飛鳥時代より 中林寺 厚見寺などと称した寺院が存在し その後廃寺となっていたという。
応仁2年(1468年) 美濃国の実権を握る斎藤妙椿が 美濃国守護である土岐成頼の菩提所として建立し 悟渓宗頓国師を迎えて開山。
寺号瑞竜は成頼の法号に因む。
後花園上皇より 山号の勅額を賜る。
文明2年(1470年)に七堂伽藍が完成し 土御門天皇により 準十刹に列せられる。
美濃国尾張国を中心に 東海派禅門の古道場として知られていたという。
明応9年(1500年)以降は 悟渓宗頓国師の弟子たちが輪住制で寺を守っていたが 永禄4年(1561年)に斎藤義龍が妙心寺派のうち 霊雲派の別伝宗亀によって国内の妙心寺派を統制しようとした際にはそれに反対し 住持であった速伝宗販は快川紹喜らとともに犬山の瑞泉寺へ一時逃れた。
永禄10年(1567年)の織田信長の岐阜城攻略 及び慶長5年(1600年)の徳川家康の家臣福島正則らによる岐阜城攻略により焼失する。

でかい山門

寺号の石柱

寺号標

修行道場につき拝観はお断りいたします 山門に柵がありました

端龍専門道場 かぁ

じゃあ 写真だけ

道場の入口か

文化財の紹介

鐘楼

駐車場から見て

工事中の塔頭

中には入れません

悟渓国師墓でした

厚見寺跡 塔心礎が残る

説明

普段立ち入ることのできない寺町です。
今日と明日は岐阜市の梅まつり(梅まつり自体はもうちょっと長い)による
特別観覧日です。
書置きも書置きでしたが、お受けすることができました。
薬師如来なので
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
と自然に出てきましたね。
係の方々曰く、撮影は全部OKとの事でした。ただ、ロープの中は遠慮
してくださいねとの事です。
しかし、柳が描かれている襖絵も立派なものです、躍動感があり
悪いことしたら出てきそうではないの?と思いました。

年に2回しか拝受できない御朱印です。
今年の梅まつりは四年ぶり?なのでほんとうの久しぶりなのですね。










鐘楼堂

6つの塔頭を持つ立派なお寺さんでした。
専門道場は非公開ですが「ぎふ梅まつり」の時は無料拝観できます。

江戸時代は橿森神社の神宮寺だったとか。

参道の両端に塔頭が在ります。


修行道場


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