ほうとうざん ごくらくじ|浄土宗西山禅林寺派|法東山
法東山 極楽寺のお参りの記録一覧
岐阜市伊奈波にある法東山 極楽寺にお参りしました。
阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗西山禅林寺派の寺院です。前回は留守で2度目のお参りです。
まずは、道を挟んだ前にある美濃新四国第5番霊場 善澄寺に案内していただき、本堂に入りお参りし御朱印をいただきました。
そして、極楽寺に戻り本堂を開けていただきお参り🙏住職はとても気さくな方で、色々な話を聞くことができました
境内は手入れされた木々の中に、菊に似た黄色い花、ツワブキ?が可憐に咲いていました。
歴史は、斎藤道三の前の稲葉城主であった二階堂行家が、天正12年(1584年)、岐阜県厚見郡今泉村に建立。その後、織田信長や、その子孫秀信が岐阜城総構えの鎮護として各地の仏像を招致し、伊奈波神社門前に、浄土宗西山派の寺院である伊奈波八ヶ寺(現在は五ヶ寺)を招致し、文禄・慶長年間(1592年~1600年)に伊奈波八ヶ寺のひとつとして移転されました。 (HPより)
山門
寺号標
本堂
御朱印 直書きもしていただけたのですが、御朱印帳を持ち合わせていなくて書き置きを頂きました
美濃新四国八十八ヶ所霊場 第5番 善澄寺の臨時代理をなさっている岐阜市にある法東山 極楽寺へ参りました。
浄土宗西山禅林寺派で、本尊は阿弥陀如来。
(岐阜市には同じ浄土宗西山禅林寺派の西方山 極楽寺がある。大きなお世話ですが、山号が違うだけで宗派も寺号も同じでは間違えますね。)
稲葉山城主であった二階堂氏の子孫が1584年に厚見郡今泉村(現・岐阜市内の西地区)に建立。(織田氏が岐阜城総構えの鎮護として伊奈波神社門前に浄土宗西山派の寺院を招致。)
1592~1600年頃に現在地へ移転し、伊奈波八ヶ寺の1つとなった。
極楽寺は善澄寺の前の道路を挟んだ向かいに在ります。山門をくぐると左斜め前に本堂で、右斜め前に庫裏でしたので、庫裏の呼び鈴を押して「善澄寺の御朱印を頂きたい。」とお願いした所、「ではこれから善澄寺へ行きましょう」とご住職の奥様(家に帰ってからHPを見るとご住職の奥様ではなくお母様でした。人当たりの良い、非常に感じ良い素敵な方でした。)が出てこられました。たかが100円の御朱印にそんな手間を掛けさせるのは申し訳ないのですが・・。
「善澄寺へ行く前に折角ですのでこちらの本尊に手を合わさせて欲しい。」とお願いした所、快く承けて頂き、本堂に上がらせて頂きました。
須弥壇に本尊の阿弥陀三尊像、創建時の桃山時代の作と思われます。書置きの御朱印ならばという事で御朱印を頂いた後に善澄寺へ行きました。
(無住の寺院等へ参拝後に御朱印を頂くために兼務寺へ伺う事がしばしばありますが、御朱印だけ頂いてサヨウナラではなく、兼務寺の本堂も可能な限り参拝する事にしております。)
境内の西の角にお堂がありました。地蔵菩薩と千体地蔵が安置してありましたので地蔵堂だと思います。左隅には不動明王も。
ーオマケー
帰り道に寄り道して各務原市立中央図書館へ行って、特別公開「修復で目覚めた平安後期の仏像 聖観音菩薩立像」を観てきました。
御朱印
山門
本堂
阿弥陀三尊
地藏堂?
ーオマケー
各務原市立中央図書館
聖観音菩薩立像(市指定文化財)
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