西方山極楽寺の日常(476回目)|岐阜県名鉄岐阜駅
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楽しみ方投稿日:2025年06月06日(金) 21時56分54秒
今月のことば 令和7年6月
「糸と竹を必するに非ず 山水には清音有り」 ー左思ー
【意味】
楽器は必要ない。山や川には清らかな音が響いている。
【注釈】
・左思(二五二頃~三〇七頃)…中国西晋時代(二六五~三一六)の文学者。
・糸…ここでは弦楽器を指す。
・竹…ここでは管楽器を指す。
「糸と竹を必するに非ず 山水には清音有り」 ー左思ー
【意味】
楽器は必要ない。山や川には清らかな音が響いている。
【注釈】
・左思(二五二頃~三〇七頃)…中国西晋時代(二六五~三一六)の文学者。
・糸…ここでは弦楽器を指す。
・竹…ここでは管楽器を指す。



山には風で木々が揺れる音がある。川には水が流れる音がある。自然の中にいれば、自然が生み出す清らかな音が聞こえてくる。だからあえて楽器で音楽を奏でる必要ないという詩である。
この原稿を書いているノートパソコンからも機械の音が聞こえてくる。文章を書けばキーボードを叩く音がする。道路を走る自動車の音も聞こえる。街中にも、あえて出しているのではない音がたくさんある。
山や川の音はこの詩のように清音と呼ばれるが、街中の音は騒音と呼ばれる。そこに何の違いがあるのだろうか。周波数や音量が人間に与える影響という話かもしれないが、最終的には人それぞれということになるだろう。
阿弥陀経には、浄土では鳥のさえずりが教えを説き、風に揺れる木の音が信心を起こすと記されている。浄土ではそんな心地よい音ばかりが聞こえる。逆に言えば、私達の世界には心地よくない音が聞こえるということだ。
私達の何気ない行動が騒音を生み出すこともあれば、逆に騒音で不快な思いをさせられることもあるだろう。それはお釈迦様の時代から変わらない。私達は人に迷惑を掛け、人から迷惑を被りながら生きていかざるを得ない。だからこそ、人を思いやり、人を許す心を持とう。それが仏様の持つ慈しみの心、私達を見守る仏様の姿である。
この原稿を書いているノートパソコンからも機械の音が聞こえてくる。文章を書けばキーボードを叩く音がする。道路を走る自動車の音も聞こえる。街中にも、あえて出しているのではない音がたくさんある。
山や川の音はこの詩のように清音と呼ばれるが、街中の音は騒音と呼ばれる。そこに何の違いがあるのだろうか。周波数や音量が人間に与える影響という話かもしれないが、最終的には人それぞれということになるだろう。
阿弥陀経には、浄土では鳥のさえずりが教えを説き、風に揺れる木の音が信心を起こすと記されている。浄土ではそんな心地よい音ばかりが聞こえる。逆に言えば、私達の世界には心地よくない音が聞こえるということだ。
私達の何気ない行動が騒音を生み出すこともあれば、逆に騒音で不快な思いをさせられることもあるだろう。それはお釈迦様の時代から変わらない。私達は人に迷惑を掛け、人から迷惑を被りながら生きていかざるを得ない。だからこそ、人を思いやり、人を許す心を持とう。それが仏様の持つ慈しみの心、私達を見守る仏様の姿である。

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