西方山極楽寺の日常(445回目)|岐阜県名鉄岐阜駅
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投稿日:2025年01月11日(土)
「松柏千年の青 時人の意に入らず」 『続伝灯録』
【意味】
松やコノテガシワのような常緑樹は千年その青さを保つが、いつの時代の人もそれを気に留めない。
【注釈】
・続伝灯録…中国北宋時代(九六〇~一一二七)から南宋時代(一一二七~一二七九)における、禅宗の展開と禅僧の言行をまとめた書。
【意味】
松やコノテガシワのような常緑樹は千年その青さを保つが、いつの時代の人もそれを気に留めない。
【注釈】
・続伝灯録…中国北宋時代(九六〇~一一二七)から南宋時代(一一二七~一二七九)における、禅宗の展開と禅僧の言行をまとめた書。
常緑樹はいつも変わらず青々としている。その光景が当たり前だと思われているから誰も気に留めなくなってしまう。しかし、当たり前と思えるほどに変わらないことは、とても価値のあることなのだ。
仏教の中心とされる教えが「縁起」である。縁は原因、起は結果を意味する。この世界のあらゆるものは、原因があってその結果として存在しているという教えである。
当たり前のように思っていることも、さまざまな縁の積み重ねの上に成り立っている。その中の一つの縁が無くなれば成り立たなくなってしまう。誰もが当たり前と思ってしまうほど変わらないならば、それはとても大きな縁に支えられているのだ。当たり前のことは、縁に恵まれた尊い存在なのである。
自分が昨日も今日も明日も変わらずここにいられることは、数多くの縁があってのことである。そのありがたさを教えてくれるのが縁起の教えなのだ。当たり前の毎日を過ごせることは、素晴らしい縁に恵まれていることである。
仏教の中心とされる教えが「縁起」である。縁は原因、起は結果を意味する。この世界のあらゆるものは、原因があってその結果として存在しているという教えである。
当たり前のように思っていることも、さまざまな縁の積み重ねの上に成り立っている。その中の一つの縁が無くなれば成り立たなくなってしまう。誰もが当たり前と思ってしまうほど変わらないならば、それはとても大きな縁に支えられているのだ。当たり前のことは、縁に恵まれた尊い存在なのである。
自分が昨日も今日も明日も変わらずここにいられることは、数多くの縁があってのことである。そのありがたさを教えてくれるのが縁起の教えなのだ。当たり前の毎日を過ごせることは、素晴らしい縁に恵まれていることである。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
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