溝旗神社(肇國神社)の日常(50回目)|岐阜県名鉄岐阜駅
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楽しみ方投稿日:2025年08月23日(土) 20時48分39秒
終戦80年 溝旗神社に残る戦争の爪痕
ーよの木とおしゃごじ二福ー
終戦80年企画として今回も境内に残る戦争の爪痕をご紹介します。
境内には、かつて「よの木」と呼ばれた大樹が立っていました。
「よの木」とは「世」「代」の境を守る木の意ともいわれ、古くから狐の集まる霊木として語られてきました。狐は稲荷大神の御使いであり、その集う姿は神霊の依り代として崇められてきました。
木の根元には「おしゃごじ二福(大黒天・恵比寿)」が祀られていました。
「しゃごじ」とは「塞ぎの神・来るなの神」の意で、村の入り口や境に二福を祀り、人々を外敵や災いから護る古い風習を指します。よの木と二福が共に鎮まることで、境内全体、氏子域を護る結界として敬われてきたのです。
昭和二十年の岐阜空襲で内部は焼けたものの外側は燃えず、一部を守りやがて音響とともに大地に横たわり、その大任を終えたと伝えられています。
しかし不思議なことに、その後同じ場所から新しい木が芽吹き、いまも榎(えのき)として境内に生い茂っています。根元には変わらず二福がお祀りされ、かつてのよの木の記憶を受け継いでいます。
一つの境内に、我々の生活で重要な衣食住や豊穣を願う神々である
稲荷大神、大黒天、恵比寿が一同に集う杜。そして、厄災を塞ぐ神々とご神木の杜でもあります。
その姿は、戦火を越えた祈りの象徴として、今も参拝者を見守っています。
ーよの木とおしゃごじ二福ー
終戦80年企画として今回も境内に残る戦争の爪痕をご紹介します。
境内には、かつて「よの木」と呼ばれた大樹が立っていました。
「よの木」とは「世」「代」の境を守る木の意ともいわれ、古くから狐の集まる霊木として語られてきました。狐は稲荷大神の御使いであり、その集う姿は神霊の依り代として崇められてきました。
木の根元には「おしゃごじ二福(大黒天・恵比寿)」が祀られていました。
「しゃごじ」とは「塞ぎの神・来るなの神」の意で、村の入り口や境に二福を祀り、人々を外敵や災いから護る古い風習を指します。よの木と二福が共に鎮まることで、境内全体、氏子域を護る結界として敬われてきたのです。
昭和二十年の岐阜空襲で内部は焼けたものの外側は燃えず、一部を守りやがて音響とともに大地に横たわり、その大任を終えたと伝えられています。
しかし不思議なことに、その後同じ場所から新しい木が芽吹き、いまも榎(えのき)として境内に生い茂っています。根元には変わらず二福がお祀りされ、かつてのよの木の記憶を受け継いでいます。
一つの境内に、我々の生活で重要な衣食住や豊穣を願う神々である
稲荷大神、大黒天、恵比寿が一同に集う杜。そして、厄災を塞ぐ神々とご神木の杜でもあります。
その姿は、戦火を越えた祈りの象徴として、今も参拝者を見守っています。
すてき
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