こがねじんじゃ
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金神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年02月06日(日)
参拝:2022年1月吉日
【岐阜県 古社巡り】
金神社(こがね~)は、岐阜県岐阜市金町にある神社。国史見在社(式外社)で、旧社格は県社。主祭神は金大神(こがねのおおがみ)、配祀神は淳熨斗媛命(ぬのしひめ)、市隼雄命(いちはやお)、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこ)、日葉酢媛命(ひばすひめ)。
社伝によると、主祭神の五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したが、その成功を妬んだ陸奥守豊益の讒言により、朝敵とされて現在地の三野(美濃)の地で討たれたため、妃である渟熨斗姫命が当地で慰霊しつつ生涯を終え、その間、私財を投じて町の発展に寄与したことから、その後「金大神」と呼ばれ信仰されたと伝える。また、当社は成務天皇5年、朝廷より美濃国造として当地に派遣された物部臣賀夫良命(もののべのおみかぶら)が国府を当地に定め、金大神を篤く崇敬して創建されたと伝えられている。国史では『日本三代実録』に869年に神階奉授の記載があるが、927年の『延喜式神名帳』には記載がない。江戸時代初期1617年に加納藩主・奥平信昌が社殿を造替し、以後松平氏や永井氏などの歴代加納藩主の崇敬を受けた。明治時代に入り、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR東海道本線・岐阜駅の北800mの市街地のど真ん中にある。境内は北口の駅前通り沿いにあるが、さすが旧県社だけあって広い境内を保っている。当社と稲荷社が並んで鎮座し、翼殿で繋がっているので、拝殿側からは非常に大きく見える。実際にも社殿は大きく、本殿周りには境内社がまとまっており、しっかり見て廻ると見ごたえ十分。金神社だけあって、金の鳥居があったり、金運祈願の授与品があったりと、老若男女問わず誰にでも分かりやすいところが美点。
今回は、国史見在社、旧県社であることから参拝することに。参拝時は午後遅めの時間、境内はそこそこ多くの参拝者で賑わっていた。
境内南端入口にある<鳥居>と<社号標>。このド派手な鳥居は御朱印雑誌などによく取り上げられているようで、よく知られている。
実際に自分が最初にくぐったのは、境内東端入口にある<一の鳥居>。たぶんこちらが旧来の正式な入口。
一の鳥居をくぐって、すこし進むと<二の鳥居>。
二の鳥居をくぐってすぐ左側、金鳥居をくぐってすぐ右側にある<手水舎>。
手水舎から見た社殿周り。中央が<金神社>、右側が<金祥稲荷神社>、左側が<社務所>。社殿は1988年の再建。
まずは<金神社>から参拝する。<拝殿>全景。拝殿自体は大きくはないが、左右に<翼殿>が伸びているので大きく見える。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
華やかな雰囲気の<拝殿>正面。
拝殿上部に掛かる<金神社>の扁額。
次に右隣の拝殿に向かう。こちらが<金祥稲荷神社>の拝殿全景。
<金祥稲荷神社>の拝殿正面。
<金祥稲荷神社>の拝殿を横から見ると、<金神社>の方が向拝が大きいことが分かる。
<金祥稲荷神社>の拝殿の右側に、裏手に通じる通路がある。鳥居があるということは境内社があるのかな? (o^―^o)
通路の突き当りにある<賀夫良城神社>。右側には<史跡 賀夫良城>と書かれた石碑。
こちらは<金祥稲荷神社>の本殿後ろの門。
こちらは<金神社>の本殿。
<金神社>本殿の裏手には、境内社群が並ぶ。
表に戻って、境内西側の<社務所>。御朱印はこちら。
二の鳥居の脇に立つ、境内で最も立派な樹木。注連縄は巻かれていないけど、実質的な御神木かな。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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