りゅうしょうじ|浄土宗西山禅林寺派|亀甲山
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立政寺ではいただけません
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 6台ほど |
おすすめの投稿
恵比寿
2024年01月07日(日)
1投稿
織田信長が足利義昭と対面し、徳川家康が関ヶ原合戦の前々日に休息をしたと言われる興味深いお寺です。何より「吾唯足るを知る」の手水鉢が印象に残りました。御朱印はお庭の手入れ中だった住職さんに快く分けて頂けました。
みち
2022年08月16日(火)
191投稿
文和 3年(1354年)浄土宗西山派の高僧である智通光居が開山。永禄11年(1568年)織田信長は足利義昭を立政寺に迎えた跡が『正法軒』である。関ヶ原の戦いの時、徳川家康も立政寺に立ち寄った。その際、もてなしの柿が転げ落ち、時の住職が機転を利かし、「大柿(おおがき)が落ちましたな」と家康を喜ばせた。
【臥龍松と活蛇柳】
稲葉山の修行僧賢了が智通上人に法論を挑んだ。賢了は柳を大蛇に化した、上人は松を龍に化した。賢了は上人に師弟の礼をとり、後に達智と号し尾張祐福寺の開基となった。
寺標
総門(赤門)
渋めの赤色ですね!
法然上人と本堂
客殿
薬師堂
案内板
蛙不鳴池
修行の妨げになるので、亀甲池の蛙は鳴かないとの伝説🐸
智通光居之墓
活蛇柳(かつだのやなぎ)と
臥龍松(がりゅうのまつ)
正法軒
ここから織田信長は天下布武への道を歩んで行った⁉️
立政寺の基本情報
住所 | 岐阜県岐阜市西荘3-7-11 |
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行き方 | 西岐阜駅から徒歩4分(322m) 西荘バス停から徒歩3分(236m)
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アクセスを詳しく見る
名称 | 立政寺 |
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読み方 | りゅうしょうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 058-251-8850 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 亀甲山 |
院号 | 護国院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗西山禅林寺派 |
体験 | 御朱印 |
Wikipediaからの引用
概要 | 立政寺(りゅうしょうじ)は、岐阜県岐阜市西荘三丁目7番11にある浄土宗西山禅林寺派の寺院である。山号は亀甲山。寺号は正しくは護国院立政寺。 |
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歴史 | 歴史[編集] この寺は、智通上人(智通光居)が1354年(正平9年)に伊勢参宮の帰りに訪れ、念仏苦行を行い、それをみた人々が集まったのが始まりと伝えられる。全盛時には浄土宗西山派の中心寺院ともなった。1891年(明治24年)の濃尾地震で被災した。 |
引用元情報 | 「立政寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%AB%8B%E6%94%BF%E5%AF%BA&oldid=98231854 |
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最終更新:2024年03月17日(日)
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